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あの夏の記憶「特攻花」に重ね 喜界島(鹿児島県喜界町) 小林希 (1/2ページ)

 「特攻花がまだ咲いていますね」

 赤と黄色のテンニンギクを指さして、島の人がそう教えてくれた。空港周辺や滑走路付近に咲き誇るその花は、風に優しく揺れている。

 奄美群島の喜界島(きかいじま)は、鹿児島本土と沖縄本島の中間に位置する。そのため先の大戦の末期は沖縄防衛の中継基地と位置付けられ、海軍航空基地が造られた。そして、鹿児島の知覧(ちらん)から飛び立つ特攻機の整備・給油地ともなった。

 喜界島観光物産協会によると、特攻隊員が飛行する前、島の娘たちはテンニンギクを贈ったそうだ。その種が落ちて根付き、やがて飛行場周辺に咲いた花は、「特攻花」と呼ばれるようになった。

 喜界島の空港は、旧海軍航空隊が実際に使用していた飛行場を利用している。空港から徒歩数分の所には戦闘指揮所跡がある。

 昭和20年に入ると、米軍による島の空襲は激しさを増した。島内には、特攻機を隠す掩体壕(えんたいごう)や特攻艇「震洋(しんよう)」の格納壕跡、視察と銃眼を兼ねた防御陣地のトーチカ跡、電波探知基地跡など、戦跡があちこちに点在している。

 空港から遠い志戸桶(しとおけ)という集落には、疑似滑走路が造られ、竹の飛行機まで設置して敵機を欺き、飛行場を守ろうとしたらしい。志戸桶のおばあさんは、「ここの民家は全部やられたよ」と語る。同じ島で、守るべきものに優先順位をつけねばならぬのが、戦争のおぞましさだ。

 ところで、喜界島は隆起サンゴ礁の島で岩盤が削りやすい。「この洞穴は祖父が自力で掘った防空壕です」と、島の人に案内してもらった先は民家の敷地内にある岩肌だった。人の生活圏内にも、戦争の爪痕は残されているのだ。

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