家族がいてもいなくても

(662)Go Toの旅、思い出深く

 目下、自粛中の私。

 自分の部屋で静かにしている。実は、10カ月ぶりに東京に行ってきたのだ。用事は運転免許証の更新延長の申請だった。

 ボーっとしていたら、免許更新期日が迫っていた。すぐに高齢者講習を受けよ、と言われたけれど、受講の予約が全然、取れない。

 とりあえず更新日の延長申請をしようとしたら、都内の警察署に行きなさい、と。

 私が住むのは一応、高齢者施設。新型コロナウイルス禍の今は、首都圏から戻ったら「2週間の自粛」が義務。

 どうせ自粛になるなら、この際、ちょっと旅などもしてこようか、なんて思って出掛けていった。

 まず、若いころから親しんできた池袋へ直行。そこはどこにでも迷わず行けるわがホームタウンだ。

 行ってびっくりしたのは、誰も彼もが例外なくマスクをしていること。そのマスクが色とりどりなこと。

 その様子は、別の星、地球外地域にでも迷いこんだ気分。じきに慣れはしたけれど、コロナウイルスは都会の景色を一変させていることを今頃、知った。

 警察署で延長申請を終えてほっとしたら、猥(わい)雑(ざつ)で怪しげだったはずの池袋を散策したくなった。

 とくに私には忘れられない場所があった。雑誌ライター時代、友人たちと助け合って仕事をしていた事務所があったのだ。

 どういう経緯だったのか、「存分に仕事をして自立せよ」とそこを無料で提供し、支えてくれたボスがいたのだが、その恩義に報えない間に、彼は逝(い)ってしまった。

 その日、思いがけなく古びたままで残っていた懐かしいビルの前で、私は長くうなだれていた。

 それから、軽井沢に向かった。

 「Go Toトラベル」で、予約していたホテルに行く前に、軽井沢の森に誘われるように「万平ホテル」に立ち寄った。

 そのホテルは、晩年の父のたっての願いで、最後に一緒に泊まった場所だったのだ。

 緑に包まれたホテルの喫茶店で、あの日のようにアップルパイを食べた。食べながら思った。

 ここは、きっと父の思い出の残る大事な場所だったのだろうなあ、と。その思い出を聞き逃した自分を悔いた。

 そして、思った。

 今、自分が切実に会いたいと思うのは、この世に不在になってしまった人ばかりなのだなあ、と。

 自粛中のおかげで、私は思い出に浸ったこの旅の気分から、すぐには立ち上がれないでいるのだった。

 (ノンフィクション作家 久田恵)

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