島を歩く 日本を見る

太古のロマン、満ちる王都へ 壱岐島(長崎県壱岐市) (1/2ページ)

 弥生時代、長崎県の壱岐島(いきのしま)は国際的な海の王都だった。大陸との国境に立つ対馬(つしま)島と九州の間に位置し、大陸から最先端の文物や技術が入り、国内外の交易拠点として隆盛を極めた。「魏志倭人伝」には“一大国”と書かれ、王都の暮らしぶりについても明記されている。

 島内には丘陵地が連なり、東南部には県内で2番目に広い深江田原(ふかえたばる)という平野が広がる。そこに構えるのは、弥生時代の大規模な多重環濠(かんごう)集落(周囲に二重、三重の堀をめぐらせた集落)の「原(はる)の辻(つじ)遺跡」。登呂遺跡(静岡県)、吉野ケ里遺跡(佐賀県)と同じく国の特別史跡に指定されている。

 遺跡の発掘調査では、石器や土器のほか、大陸との交流を裏付ける鉄製品や青銅器、ガラス製品なども多く出土した。竪穴式住居以外に土壁を使った住居跡も見つかり、渡来人が島に滞在していたことが分かった。環濠の外で、大陸の土木建設技術がうかがえる日本最古の船着場も見つかっている。

 渡来人は東部の内海(うちめ)湾から幡鉾(はたほこ)川を船でのぼり、深江田原の王都へとやってきていたのだ。

 世界的建築家の黒川紀章氏が設計した「一支国(いきこく)博物館」の展望台からは、低い山に囲まれた深江田原の牧歌的な田園風景を一望できる。大陸から伝播(でんぱ)した稲作技術は、時を経て今も継承され、当時の面影を感じさせる。

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus