家族がいてもいなくても

(689)この美しき、幸せの朝

 5月半ば、わが高齢者住宅は、一気に緑に包まれていく。

 いよいよ待ちに待った季節の到来だ。

 朝、目覚めたとたんに窓のカーテンを開いて外をのぞくのだけれど、そのたびに目の前のドングリの木が変化していく。ギザギザの愛らしい葉っぱが大きくなって、全体が緑にあふれてくる。

 そのギザギザ葉っぱの隙間から青い朝の空が見えたりすると、それだけでうれしくなる。

 以前、「ドングリと文明」という本を読み、いつか自分の家を建てたら庭に1本のドングリの木を植えよう、と決めていた私だ。

 家は建てられなかった。

 でも、入居した部屋の窓辺に奇跡のように、このドングリの木があることに気がついた。

 そのときの驚きと喜びを私は忘れないゾ、とずっと思っている。

 紆(う)余(よ)曲(きょく)折(せつ)の人生で、ごたごたを経験するたび、「お天気がいいだけで上機嫌になれる、そんなシンプルな日々を手に入れて、シアワセになりたい」と願っていた。

 その場所として選んだのがこの地だったわけだけれど、おおむね基本の願いがかなえられているような気がする。

 そんなことを思いつつ久しぶりにキッチンのテーブルに座って朝食をとった。

 ガラス戸越しに見える朝の庭には、いろんな花が競い合って咲き始めている。遅い春と早い夏が重なって、咲き残る菜の花やチューリップと、ツツジの花が仲良く並んでいる。ブルーベリーの木には小さな白い花が咲いていて、そのまわりにはミントのみずみずしい葉が勢いよく茂り始めている。

 そうだ、今日から午後のお茶は、ミントティーにしなくちゃ、などと思い、美しくなるばかりの庭を眺めて朝食をとる時間を取り戻せたことに安(あん)堵(ど)した。

 なにしろ「原っぱ」の活動で、「人形劇」の野外公演を計画して以来、私の部屋のキッチンもリビングも荷物でいっぱいだった。

 それが「原っぱ」にガーデンハウスが建ったおかげで、小さな私の木の家は、1年前の姿に戻り、暮らし方も振り出しに戻った気分なのだ。

 野菜のスムージーや、ゆずジャム入りヨーグルト、たっぷりの野菜サラダを加えた朝食を庭を眺めながら食べるゆとりを取り戻せたことにほっとした私である。

 人生は想定外に流れていくので、今後どうなるか分からない。

 けれど、このままなんとかこの美しい朝の日々がうまく続いていってほしいと思うのだった。

(ノンフィクション作家)

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