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縄文人の家が茅葺きから土屋根へ…発掘調査で明らかに、約30年研究積み重ね 

 かつて近世の古民家のような茅葺きに復元された縄文時代の住居が、土をかぶせた屋根に変わってきた。発掘調査に基づいており、新たに復元整備される遺跡では土屋根が主流になるとみられる。31日まで開催中のユネスコ世界遺産委員会では、土屋根が複数箇所で見られる「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録される見通し。縄文集落の景観イメージは大きく変わりそうだ。

 まるで土饅頭

 裏側から見ると、まるで土饅頭だ。「北海道・北東北」を構成する17遺跡の一つ「入江貝塚」(北海道洞爺湖町)の復元住居は土で覆われ、従来の茅葺きとイメージを大きく違える。「風が入らず、保温性が高い」(同町教育委員会)という。

 茅葺きのイメージがあるのは、現在見られる復元住居の多くが茅葺きのためだ。縄文や弥生時代の家は、地面を掘りくぼめて複数の柱を立て、その上に屋根を掛けた半地下式の竪穴住居。床のくぼみや柱穴は全国で見つかっているが、失われた屋根は遺物などから推測して復元される。

 茅葺きは戦後間もなく、弥生時代の集落・水田跡「登呂遺跡」(静岡市)などで竪穴住居が復元された際に採用されたが、当時は屋根の素材が分かっていなかった。

 登呂遺跡では水田と集落が一体となって確認され、考古学ブームが発生。教科書にも載せられ、水田稲作のイメージとともに茅葺きも定着した。埋蔵文化財は地表に建物がなければ集客が難しい。各地の遺跡で茅葺きを参考に復元整備が行われた。

 住居跡の焼土が物証に

 土屋根の可能性が高まったのは、ここ30年余りの発掘や研究の成果だ。「北海道・北東北」の一つ「御所野遺跡」(岩手県一戸町)で平成8年に行われた焼失住居跡の調査では、焼け残った柱や屋根材と焼土の堆積状況から全国で初めて縄文時代の土屋根住居を確認。樹皮の下地に土をかぶせた土屋根が復元された。

 御所野縄文博物館の高田和徳館長は茅葺きのイメージが根強い要因を「全国の焼失住居跡の調査で茅は出土量が少ないことが分かっているが、茅葺きで復元したものを変えるには費用がかかるため各地でそのまま残っている」と指摘する。

 大型掘立柱建物で有名な縄文の大規模集落跡「三内丸山遺跡」(青森市)の復元住居は茅・樹皮・土の3種類で葺かれている。同遺跡センターによると、平成7年から復元が進められ、土屋根は14、15年度に計5棟が整備されたという。

 「今後も増える」

 土屋根は「北海道・北東北」以外の縄文遺跡でも「北代遺跡」(富山市)「宮畑遺跡」(福島市)「勝坂遺跡」(相模原市)など各地に広がっている。

 「梅之木遺跡」(山梨県北杜市)では、平成30年から年1軒ペースで復元が進む。同市教委の佐野隆参事は「茅葺きか土屋根かではなく、年間を通して土屋根の住居を使っていたかが議論になっている。土屋根は夏に蒸し暑くなるので、実験のため5月頃に屋根から土を下ろして樹皮だけにしている」と話す。

 遺跡整備コンサルタント会社「ウッドサークル」(東京都中央区)の中田英史社長は「考古学的調査結果から、この10年ぐらいは土屋根が増えており、今後も増える可能性がある」とみる。

 文字による記録のない縄文時代の住まいや暮らしぶりが、発掘調査などで明らかになってきた。「北海道・北東北」の世界遺産登録をきっかけに遺跡整備の機運が高まれば、縄文の集落景観が塗り替わりそうだ。

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