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支那そば、中華そばでは不正解…日本で最初の「ラーメン」はなんと呼ばれていたか (3/3ページ)

 ■「冷やし中華」はいつ始まったか

 また、「冷やし中華」についても見ると、1929年刊の『料理相談』が、「冷蕎麦」としてレシピを記載している。それは、「支那焼きそば」をゆでて、皿盛りし、酢・砂糖を加えた汁で味つけし、氷をかけて提供するものである。

 同様のものは、第2次世界大戦前から中国料理店が、「涼拌麺」「涼麺」などとして出していた。例えば、神田・神保町の「揚子江菜館」(1906年創業)は、1932年に「雲を頂く富士山の四季」をイメージして具材を山高に盛り付ける「五色涼拌麺(ごもくひやしそば)」を考案して、冷やし中華の一つのスタイルとして定着させている。

 しかし、「冷やし中華」「冷やし中華そば」という呼称は、戦後にできたものと考えられる。

 ■「ラーメン」の呼称を日本中に広めたある製品

 さらに、「ラーメン」の呼称が全国的に広まっていくのは、1958年、日清食品(当時はサンシー殖産)が、即席麺の「チキンラーメン」を発売し、それが爆発的に売れてからであった。

 同じ頃に普及し始めたテレビのコマーシャルでも、「インスタントラーメン」が頻繁に宣伝されたことによって、ラーメンの呼称が日本全国に広まった。くわえて、それ以前のラーメンは、中華料理屋のメニューの一つや、餃子屋の添え物にすぎなかったが、1960年代頃から、ラーメンの専門店が、全国にできていったという。

 ■韓国でラーメンと言えばインスタントラーメン

 ちなみに、韓国では、ラーメンを「ラミョン」と呼ぶ。なぜならば、日韓関係の正常化が模索された1960年代、インスタントラーメンが、日本から韓国へと伝わったからである。

 1963年、サミャン(三養)食品は、日本の明星食品から無償技術供与を受けて、インスタントラーメンの生産を開始した。それは発売当初、明星食品の日本人向けの味のままであったが、3年間の試行錯誤を経て、麺やスープが、韓国人の嗜好に合うものに改良された。サミャン食品は、韓国で市場占有率首位の代表的なラーメン製造業者になった。

 ただしその後、1965年にロッテから独立して86年に辛ラーメンを発売したノンシン(78年にロッテ工業から農心に社名変更)に首位を明け渡した。

 このように韓国スタイルのラーメンは、インスタントラーメンとして始まったので、韓国では現在でも「ラミョン」といえば、インスタントラーメンのことを指す。

 さらに、韓国に限らず、日本以外の国々では、「ラーメン」といえばインスタントラーメンを指すことが多い。中国ですら、現在では「拉麺」といえば、即席麺がイメージされることが多い。

 ■日本の国民食から世界食へ

 世界インスタントラーメン協会によれば、2020年に世界中で1年間に消費されたインスタントラーメンは、1165億6000万食にのぼる。

 国別に見ると、中国・香港が463億5000万食で首位、2位のインドネシアが126億4000万食、3位がベトナムで70億3000万食、4位がインドで67億3000万食、5位は日本で59億7000万食、6位がアメリカで50億5000万食、7位がフィリピンで44億7000万食、8位が韓国で41億3000万食、9位がタイで37億1000万食、10位がブラジルで27億2000万食である。

 日本のインスタントラーメン消費量は、2018年にインド、20年にベトナムに抜かれて世界第5位に転落している。

 このように、中国・台湾をルーツとして、日本から発信されたインスタントラーメンは、国民食から世界食への発展に成功した代表的な食品である。

 ※出典を示した注については再編集にあたり省略しました。詳細は書籍をご覧ください。

 

 岩間 一弘(いわま・かずひろ)

 慶應義塾大学文学部 教授

 1972年生まれ。専門は東アジア近現代史、食の文化交流史、中国都市史。2003年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。千葉商科大学教授などを経て2015年より現職。おもな著書に、『中国料理と近現代日本--食と嗜好の文化交流史』(編著書、慶應義塾大学出版会、2019年)、『上海大衆の誕生と変貌--近代新中間層の消費・動員・イベント』(東京大学出版会、2012年)などがある。

 

 (慶應義塾大学文学部 教授 岩間 一弘)(PRESIDENT Online)

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