伊ファッション界の厳しさ 最初はボコボコ…日本人デザイナーの挑戦

2013.7.28 06:00

 昨年はじめミラノコレクションの若手登竜門「ネクスト・ジェネレーション」で入賞したファッションデザイナーの村田晴信さんが、先週、こう語った。

 「あの時点でぼくの作品は90点だと思ったのですが、1年半を経過した今振り返ると50点程度ですね。素材を生かした切り貼りしたデザインばかり考えていて、装飾として使う刺繍やクリスタルは食わず嫌いだったのです」

 彼は今、英国人デザイナー、ジョン・リッチモンドのイタリア・ファッションメーカーでプレコレクションのレディーズ部門を任されている。同社には4つのラインがあり、「ファーストライン」(ショーで発表される服とレディースプレコレクション)、「セカンドライン」(ファーストラインの普及版)、「デニムライン」(サードライン)、「キッズライン」だ。

 ジョン・リッチモンドはもともとアバンギャルドな表現を売りにしたブランドで、村田さんがミラノコレクションで発表したミニマルな表現とは対極にある。しかし彼はリッチモンド自身から見込まれ、昨年5月から働き始めた。現在24歳である。

 案の定というべきか、最初の半年はボコボコにされたという。「インパクトがない」とアイデアを却下され続け、100枚のスケッチを描いて採用されるのは1、2案。

 一回のシーズンで約100アイテムの商品化が担当分だ。村田さんの落ち込みようがいか様だったか。想像に難くない。

 チーフ・デザイナーであるリッチモンドからは「セクシー」「グラマラス」「リッチ」「ロック」という単語を繰り返し聞かされた。しかし、言葉としての意味は分かるが、それらの言葉をカタチとして実際にどう表現すればよいのか、手で分からなかった。

 1回目のコレクションでボロクソ言われた村田さんは、次のコレクションで「同じミスは繰り返せない」と覚悟した。その時、ボスはこう背中を押してくれた。

 「もっとクリエイターとしての自分を出せ。売れるかどうかを気にするな。コストも考えなくていい。それはコーディネーター(デザインと販売を繋ぐ役割の人)が考えるべきことだし、いざとなればおれ自身が売ってやるから、自分で我慢をするな」

 村田さんはデザインの方向性は全く違っていたが良いボスに恵まれた。肌を多く見せるのは下品で、「チラ見せ」がセクシーだと考えていた村田さんにとり、胸のVカットはできるだけ深く切り込むように、との指示は当初、抵抗があった。今もセクシーの解釈に全面的に賛成しているわけはない。

 しかしながら、今のブランドが自分の最終目標のスタイルではないが、学生の時に考えていたスタイルがベストであるとも思えなくなった。

 冒頭の90点から50点の自己評価となったデビュー作品はデザイナーの吉岡徳仁の影響を強く受けたものだった。今、吉岡徳仁の作品をどう見るか?

 「やはり綺麗だと思います。でも以前ほどには感動しません。今やっているデザインにインスピレーションを提供してくれないし」と村田さんは答える。

 彼がミラノで勉強した大学のファッションコース修士課程にはおよそ100人の同級生がいた。90%が外国人で中国、スペイン、ブラジル、ロシア…と多国籍に渡っていた。その多くが卒業したらイタリアのファッションメーカーでデザインをしたいと夢を語っていた。が、彼が知る限り、その夢をかなえられたのは村田さんを含め3人だけだ。

 どこのファッションメーカーもデザイナーの数はそう多くない。トップクラスのレベルでいけば、イタリアのインハウスのファッションデザイナーは合計で100人にも満たない。その厳しい競争のなかで、村田さんがどこまで上に行けるか?

 独立しない限り誰かのデザインコンセプトを120%表現できることが大事だ。つまり他の誰かの役になりきれるかどうか。それを今の会社でできれば、上のレベルのメーカーに行くのはチャンス次第、とぼくは考える。

 これを百も承知している村田さんは既に、それまで聞いていたジャズやクラシック音楽をやめ、ミック・ジャガーやパティ・スミスといったロックを聞いている。食事も肉を中心にした。手首にはリッチモンドのドクロのついたシルバーのブレスレットがある。

 リッチモンドの頭の中に近づいているようだ。

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