【書評】『死んでしまう系のぼくらに』最果タヒ著

2014.12.13 16:34

 ■「きみ」に呼びかける詩

 最果タヒの詩は、読む人間をとても近くに置く。

 本書は『死んでしまう系のぼくらに』というタイトルが示す通り、さまざまな視点から人間の死を眺めようとする言葉で編まれているが、それはどこか遠く離れた場所で起こる死を語ろうとするものではなく、私たちにとって身近な場所で起きた/起こり得る死について想像することと結びついている。

 書かれた詩の多くは、死と愛を同時に語っている。ある詩においては「私」が「きみ」に死なないでほしいと願っているけれど、別の詩での「私」は「きみ」が死ぬことを期待していたりもする。これは一見すると矛盾している感情のようにも捉えられるが、最果タヒは愛や死といった言葉が持つ意味をひとつに固定せず、それらが刻一刻と意味合いを変えていくその有り様を記述することで独特の詩的世界を作り上げているのだ。

 実際のところ、私たちの生において、愛と死の関係は常に不安定なものだ。今日は「愛しているから死んでほしくない」と思っていても、明日になれば「死んでしまうからこそ愛せる」と感じているかもしれない。そのように考えると、多くの場合ネガティヴな意味に回収されてしまう死という言葉も、時に反転して愛を表す語になる瞬間があるのだと分かってくる。個々の言葉が多様な意味を獲得するのだ。

 この詩集の中では、渋谷の街が語られたと思ったら次の瞬間には遠くにある惑星の話が始まっているというようなことが頻繁に起こる。2013年の世界を語ると同時に、2千年後の未来を想像したりもする。いわばそこでは空間も時間も関係なく、ただ言葉だけが蠢(うごめ)くことになるのだが、愛と死の距離を測ろうとする真剣な眼差(まなざ)しがあるからこそ詩的世界は常に引き締まったものとして立ち現れる。

 この詩集は、私たちにとって無関係な世界の記述では決してない。言葉がもたらす幸福も哀(かな)しみも、向けられる対象は「きみ」なのである。だからこそ私たちは、語られる世界を愛しく思い、そこに寄り添うことができるのだ。(リトルモア・1200円+税)

 評・坂上秋成(作家・文芸批評家)

閉じる