「オリンピックに出る!」強い気持ちが必要 萩原智子

2013.12.18 17:30

 【笑顔のアスリート学】

 2020年東京五輪・パラリンピックが決まったいま、改めて私自身が五輪を目指した日々を思い出すことが多い。

 振り返って記憶によみがえるのは、厳しくも温かく見守ってくれた家族や先輩たちの言葉かもしれない。

 「オリンピックへ行きたいな」。そう心に抱いたのは、1992年バルセロナ五輪の女子200メートル平泳ぎで、当時14歳だった岩崎恭子さんが史上最年少金メダルを獲得したのをテレビで見た瞬間だった。

 そのときの私は小学6年生。すでに水泳と出会い、トップを目指していた時期でもあった。五輪というものに憧れを抱き、小学校の卒業文集にも、「水泳でオリンピック選手になりたい」と書いた。

 その夢に向かって、順調に過ごした中学時代。自己ベストのタイムがぐんぐんと伸び、中学3年時には、200メートル背泳ぎで、日本歴代2位となる記録を樹立した。周囲からも、将来の「五輪候補選手」として持ち上げられるようになった。

 叱ってくれた母

 私の中でも翌年に控えた96年アトランタ五輪が見えていた。しかし、当時の私は、思春期の真っただ中でもあった。好記録をマークしたことで、ただ速いだけなのに、「私は偉いんだ!」と勘違いしてしまうようになった。反抗期でもあり、家族に反抗することはなかったが、スイミングクラブの指導者に生意気な態度を取るようになった。好記録を出したことで心は完全に浮ついた状態に。そして事件は起こった。

 練習に集中していない様子を見かねた指導者から、「そんな泳ぎをするなら、家に帰れ」と怒鳴られたのだ。普通なら謝って気持ちを引き締めるのに、私はすぐにプールから上がると、「ラッキー!」とそのまま帰宅したのだ。

 いま思い返しても、とんでもない反抗期だ。そんな私のいつもより早い帰宅に、母からは理由をしつこく聞かれた。自分自身が悪いことは百も承知なので言いたくなかったが、最後は白状するしかなかった。

 すると、母は私の練習かばんを玄関の外へ投げ捨てて、私の背中を外へ押し出した。そのまま玄関のカギを閉められ、「コーチに謝ってこないと、家に入れない」と叱られた。私は泣きながら、クラブに戻り、謝って許してもらった。あの時、母が叱ってくれなかったら…。勘違いした“天狗(てんぐ)”は、自分自身を見失い、夢まで見えなくなっていたはずだ。

 夢への道のりは、自分自身との戦いでもある。人に勝つことよりも、自分自身に打ち勝つことの方が、よほど難しい。克己心が大切になるのだと、母、そして水泳から教わった。

 中村真衣さんの言葉

 ライバルとの出会いも私を成長させてくれた。高校3年生になった私には、ライバルと呼ばれる先輩選手が3人いた。代表選考会で2位までに入らないと日本代表に選出されない時代に、私はいつも3位か4位。山梨県の地元紙には、「萩原、また3位」と書かれたほど、なかなか勝てなかった。

 そんな時、背泳ぎの第一人者だった当時の日本記録保持者で、のちに2000年シドニー五輪女子100メートル銀メダリストとなる中村真衣さんと同じ強化合宿に参加することになった。

 「これはチャンス」とばかりに、中村さんの練習や食事をまねして、何か吸収して帰ろうとたくらんでいた。しかし合宿最終日まで、何が中村さんと違うのかが分からず、思い切ってストレートに質問をした。

 「真衣さん、私は、なぜ先輩たちに勝てないのですか」。笑われるか、怒られるかのどちらかだろうと腹をくくって聞いたのだが、真衣さんは真剣な表情でこう話してくれた。

 「ハギトモは、本気で私たちに勝ちたいと思って練習してるの」。言葉の意味はすぐには分からなかった。しかし、地元へ帰る電車の中で、分かったことがひとつあった。「先輩に勝ちたいな」「オリンピックに出たいな」という気持ちでは、目標は達成できないということだ。目標を達成するためには、「先輩に勝つ!」「オリンピックに出る!」という強い気持ちが必要なのだと。

 「だったらいいな…」という希望ではなく、必要なのは「やる!」という覚悟と実行力だ。中村さんはそのことを教えてくれたのだ。

 それ以降の私は与えられた練習をするのではなく、指導者と話し合って、積極的に練習に取り組めるようになった。

 チャンスをつかみとれる選手は、ほんの一握り。だからこそ、チャレンジは面白い。覚悟を決めてチャレンジすることで、見えてくるものがたくさんある。自分の強さや弱さと向き合う時間も増えるだろう。自分には、こんな可能性や感情があったのだと気づかされることもあるはずだ。

 東京五輪・パラリンピックを目指す次世代のアスリートの奮闘ぶりを、楽しみに見守っていきたい。(日本水連理事、キャスター 萩原智子/SANKEI EXPRESS)

 ■はぎわら・ともこ 1980年4月13日、山梨県生まれ。身長178センチの大型スイマーとして、2000年シドニー五輪女子200メートル背泳ぎ4位、女子200メートル個人メドレーで8位入賞。02年の日本選手権で史上初の4冠達成。04年にいったん現役引退し、09年に復帰。子宮内膜症、卵巣嚢腫(のうしゅ)の手術を乗り越え、現在は講演・水泳教室やキャスターなどの仕事をこなす。

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