描かれていない瞳が見つめる「故郷」 「モディリアーニを探して」展

2014.3.31 16:00

 【アートクルーズ】

 20世紀初頭のエコール・ド・パリで35歳の若さで早世し、「悲劇の画家」として伝説的に語られてきたアメデオ・モディリアーニ(1884~1920年)。その作品を位置づけ直す企画展「モディリアーニを探して アヴァンギャルドから古典主義へ」が4月12日から、ポーラ美術館(神奈川県足柄下郡箱根町仙石原)で始まる。日本人にもファンの多い、首を傾け、瞳が描かれていない人物像の魅力はどこから来るのか。謎解きの糸口が垣間見えるかもしれない。

 イタリアで暮らす夢

 最初に、企画展を理解するうえで、ポイントとなる言葉を紹介したい。モディリアーニに好かれ、何度もモデルを務めたポーランド人女性、ルニア・チェホフスカの回想だ。Ambrogio Ceroni(アンブロージオ・チェローニ)の著書「Amedeo Modigliani,Peintre:suivi des “souvenirs” de Lunia Czechowska」(1958年)に出てくる。

 モディリアーニは、ポーズをとるルニアに自分の夢を話した。ルニアは「モディリアーニの夢は素朴でありながら、心を打つものでした。それはイタリアで母親のそばで暮らすことでした。自分のそばに娘を置いて、食堂のある家を持って、多くのふつうの人と同じように暮らすことだったのです」と回想している。

 回想からは、芸術の坩堝(るつぼ)エコール・ド・パリで成功を目指して戦う気鋭の画家というより、故郷を愛する、ほのぼのとした人間像が浮かび上がる。

 酒や麻薬にとりつかれ

 モディリアーニといえば、「悲劇の画家」「呪われた画家」として語りつがれてきた。思い浮かぶのは、映画「モンパルナスの灯」(1958年、フランス、ジャック・ベッケル監督)だ。

 モディリアーニ役のジェラール・フィリップは、酒代のためカフェで素描を売り歩く。ジャンヌ(アヌーク・エーメ)と結婚してからも絵は売れず、貧困の中で病魔に侵され、ついに街頭で倒れる。

 「彼(モディリアーニ)は飲み過ぎる。長いことはあるまい。(死んだ)その日に全部(作品を)買う」。そう話していた冷酷な画商モレル(リノ・ヴァンチュラ)は、警察病院でモディリアーノの死を確認すると、まだ夫の死を知らないジャンヌのもとに馬車を飛ばす。「(絵が売れて)主人も喜ぶでしょう」と話すジャンヌを尻目に、モレルが次々と作品を買い占める場面で映画は終わる。

 映画は「事実をもとにしているが、史実ではない」と断っているが、酒や麻薬にとりつかれて、死の2日後、身重の妻が飛び降り自殺した事実を重ね合わせ、モディリアーニの人生に悲劇性をイメージする人は多い。端正な容貌や華やかな女性関係も伝説を増幅させた。

 一方で、過去にいくつかの回顧展は開かれたものの、「語り方が難しく、作品の評価や画家の美術史上での位置づけが十分とは言えなかった」と指摘するのが、ポーラ美術館の島本英明学芸員だ。

 エコール・ド・パリにはピカソ、シャガール、ユトリロ、スーチン、藤田嗣治(つぐはる)らも集い、互いに刺激し合った。今回の企画展では、周囲からの影響や創作の変遷の実像に迫るために、わずか15年の活動期間を4期に分けた。

 1906~09年は、セザンヌに傾倒し、ピカソの「青の時代」の画風に影響を受けるなど前衛を目指した。09~14年は、ブランクーシと出会い、彫刻に打ち込む。15~18年は、費用や体力面を理由に、彫刻をあきらめて絵画に戻った時期で、彫刻で求めた形や線の理想を絵画でも実現しようと、意欲的に取り組んだ。

 そして最後の18~20年は、第一次大戦とスペイン風邪の脅威から逃れるため南仏ニースに疎開。島本学芸員は「健康の回復や南仏の屋外での創作の影響からか、明るさも増し、色彩も豊かになって、線や形に柔らかさが出てきた」と特徴づけ、彫刻から絵画に目覚めた最終ステージだったと見る。

 懐かしさ、寂しさ

 晩年に描く人物像は首を傾け、体のラインは、ルネサンス期のビーナスやマリアのように柔らかなS字を描く。古代のアルカイック様式を思わせるアーモンド型の目。冒頭のルニアの言葉を借りるまでもなく、モディリアーニは画風でも、故郷イタリアで学び、親しんだ古典美術に回帰しようとしていたのではないか。

 モディリアーニの描く女性像の前に立つと、静謐(せいひつ)さと懐かしさ、ある種の寂しさを感じる。描かれていない瞳は、誰もが心の奥底に抱いている故郷への思いを、永遠にのぞき込んでいるように思えてくる。(原圭介/SANKEI EXPRESS)

 ■Amedeo Modigliani 1884年、イタリアの港町リヴォルノで、スペイン系ユダヤ人の裕福な家庭に生まれた。母親の文学趣味の影響で、フランス語やダンテの詩などに親しむ。14歳で地元の画塾に入ったが、16歳で肋膜炎を悪化させ、転地療養のため、母親と国内を旅行。ローマやナポリの美術館や教会で古典美術を鑑賞した。18歳でフィレンツェの美術学校入り。21歳でパリに出て、エコール・ド・パリに加わる。1920年、結核性脳膜炎で死去。享年35。

 【ガイド】

 生誕130年「モディリアーニを探して」展は4月12日~9月15日まで、ポーラ美術館(神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285)。会期中無休。午前9時~午後5時。大人1800円、シニア(65歳以上)1600円、大・高校生1300円、中・小学生700円。(電)0460・84・2111。

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