【にほんのものづくり物語】有機梅

2014.5.10 12:35

 ≪伝統に培われた技を新しい発想に生かすと「ものづくり」の可能性が広がる≫

 健康や自然志向、地球温暖化などの環境問題への関心が高まるとともに、耳慣れてきた言葉の一つ「オーガニック」は、化学合成農薬や化学肥料に頼らず、有機肥料などにより土壌の持つ力を生かして生産する有機栽培です。今回は、まだこの言葉が一般的ではない時代から、一つの信念のもとに無農薬、無肥料の有機農業に取り組み、地元の環境保全に尽力し続けてきた、300年続く専業農家の15代目、石綿敏久さんを神奈川県小田原市に訪ねました。

 石綿さんが就農した1971(昭和46)年、小田原はみかん景気の最中にありました。省力化農業が推奨され、市場では整った色や形の規格品が求められた時代でした。味より重視される見栄え、農薬と肥料の多用による健康被害。疑問を抱えながらの慣行農法に転機が訪れたのは82年、生まれて間もない長女の病気でした。石綿さんは娘の健康を願い、自然食療法のための自然農法への切り替えを決断したのです。みかん山に無肥料栽培を導入し、農薬を使わない田んぼで何日もかけて手作業の草取り。並大抵の苦労ではありません。そのうえ地元で代々続く農家が、時代と逆行する農法に取り組むことへの周囲の目は、とても厳しくつらいものでした。逆境の中で覚悟と信念を導いたのは、娘への愛だったといいます。

 みかんからはじめてキウイフルーツ、レモンやライム、自然農法が軌道に乗った頃、地元小学校校長から教育現場での有機栽培の指導を依頼されました。「守ろう地球環境、地球の温暖化、オゾン層破壊」と書かれた当時の教科書に、やがては来ると考えていた自然環境の悪化が、思った以上のスピードで進んでいたことに驚き、引き受けた指導は、以来今日まで続いています。

 収穫は学校給食に使われ、食育環境も整えられてきました。肥料や農薬を使わない土地は微生物の活動が活発で生命力に満ちていること。そこには鳥や虫も生態系のバランスの中で共生し、生命力が強い農作物は害虫も寄せ付けず、病気も少ない。本来の自然が持つ潜在能力を子供たちは体験していくのです。石綿さんの次男、信之さんも有機栽培の力を学んで育った一人。海洋学部に進学したのち、農業の大切さを改めて見直し、「世の中に必要なのはこれだ」と家業を継ぐ決心をしました。

 2001(平成13)年の有機JAS法の制定から流通環境も改善されたとはいえ、現在の日本で有機農産物が占める割合は0.2%程度。有機JAS認定取得農家は全国で3800人くらい。有機農法を取り入れ地質が変わり収穫の手応えになるまでには最低5年はかかります。その間、生産農家は収入確保とともに高齢化や後継者育成に直面しなくてはなりません。

 環境問題や食の安全への関心から有機農産物の消費量は増えつつあるとはいえ、まだ市場は外観に難のある農産物をなかなか受け入れてはくれない。見た目に左右されない需要を探している時、小田原特産の梅に新しい道が開けました。日本古来より用いられてきた和漢生薬の働きに着目し、日本産のオーガニック素材を求めていた化粧品ブランド「warew」が、化粧品原料として用いることになったのです。食べるためにつくったものを化粧品に?という当初の躊躇(ちゅうちょ)は、良いものができればPRになるし、生産者増加や環境保全へつなげていけるという期待に変わったそうです。

 慣行農法の梅は紫外線によって誘発されるシミが硬くなり商品価値を下げることがありますが、有機梅は問題なく用いることができるといいます。自然の恵みがたくさん詰まった有機のポテンシャルの高さに注目です。

 「時代は変わった。選ぶことのできる時代だからこそ、ものごとを変える力を持つ消費者には責任があるんだよ」という石綿さん。流されず、見極めていく力があればこそ日本のものづくりは継承されていくのです。(SANKEI EXPRESS)

 ■石綿敏久(いしわた・としひさ) 小田原有機の里づくり協議会副代表理事。昭和26年、神奈川県小田原市生まれ。46年、神奈川県農業試験場根府川分場研修終了と同時にみかん農家として就農。57年に無農薬、無肥料の自然農法に切り替え、水稲、キウイ、梅、レモン、ライムなどを栽培して今日に至る。平成13年、有機JAS法「認定証」を取得。

 ■石綿信之(いしわた・のぶゆき) 昭和62年、専業農家の次男として誕生。東海大学海洋学部卒業後、自然農法大学校を経て平成23年3月就農。

問い合わせ先:石綿農園

〒250-0055 神奈川県小田原市久野4054。(TEL/FAX)0465・35・1882

問い合わせ:株式会社コスメディアラボラトリーズ

TEL:0120・114749。http://warew.jp

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