ウォーターゲート報道 信念の指揮官 米WP紙元主幹 B・ブラッドリー氏死去

2014.10.23 06:40

 米紙ワシントン・ポストの元編集主幹で、1974年にリチャード・ニクソン大統領(13~94年)を辞任に追い込んだウォーターゲート事件報道を指揮したベン・ブラッドリー氏が21日、ワシントンの自宅で老衰のため死去した。93歳だった。ポスト紙(電子版)は社説を掲載し「彼の魅力と天性の指導力が才能豊かなスタッフらを集め、その時代に最も名高い新聞編集になった」と、その死を悼んだ。一地方紙にすぎなかったポスト紙を米国の最有力紙の一つに育て上げた。事件の「ディープスロート」(情報源)を知っていたのは、スクープ記事を書いた記者2人とブラッドリー氏の3人だけだったとされている。

 政権と対峙し続け

 「彼の下で記者たちは語るべき事柄を語り、世界を理解する手助けをしてくれた」。バラク・オバマ米大統領(53)は21日、声明を出し、功績をたたえた。

 ブラッドリー氏は1921年に東部ボストンで生まれた。ハーバード大学を卒業後、ニューズウィーク誌などを経て65年にポスト紙の編集局長に就任。68年から23年間、編集主幹としてポスト紙を率いた。

 72年、大統領選の最中に共和党の工作員がウォーターゲート・ビル内の民主党本部に侵入した事実が発覚したことを発端とするウォーターゲート事件では、若手記者だったボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン両氏を叱咤激励し、政権の関与を暴露する数々のスクープ記事を掲載。ニクソン氏は74年辞任に追い込まれた。

 ブラッドリー氏は、ベトナム戦争に関する国防総省の秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」の報道にも踏み切り、政権と対峙(たいじ)し続けた。

 ポスト紙の社説は「最も大きな権力を持つ者は真実を語らねばならないという信念の持ち主だった。その信念が記者たちを鼓舞した」と、紹介。ウォーターゲート事件報道を通じ記者たちは「頑固さ、豪胆さ、プロ根性」を学んだと振り返った。

 何よりも真実追求

 鋭い眼光、しゃがれ声、ぶっきらぼうな物言いの一方で、周りに人を集める魅力にあふれていた。

 「裏付けが取れない間は、記事の掲載を認めない」「二度とヘマをやらかすな」。ウッドワード氏は、うたぐり深い編集主幹に何度も辟易(へきえき)としたという。だが、「何よりも真実を追求するという信条があった」とも言う。

 真骨頂を発揮したのは、政権がポスト紙を非難し有形無形の圧力をかけたときだ。「報道は国益を害する」と迫る政権関係者を、ブラッドリー氏は「何が真の国益であるかは、われわれが判断する」と一喝したという。

 司法、立法、行政の三権に対し、報道機関が政権、政府を監視する「第4の権力」と称されたのも、このころだ。ブラッドリー氏はまさに、それを体現した「真の新聞人」(オバマ大統領)だった。(SANKEI EXPRESS)

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