【野口裕之の軍事情勢】野党の集団的自衛権反対を「好ましい」と歓迎する中国国防白書

2015.6.29 06:00

 衆議院平和安全法制特別委員会で行われた安全保障関連法案の参考人質疑(22日)で聴取された一部有識者の意見を注意深く聴いたが、日本語で話していた。「権利はあるが、行使はできない」という安倍晋三政権以前の、難解かつ珍妙な日本語の政府見解を理解できており、日本人なのだろうが、心を傾ける国家が日本とはかぎらぬ。民主/維新/共産の野党3党が招いた元内閣法制局長官は「集団的自衛権の行使容認は限定的と称するものも含め、従来の政府見解とは相いれない」と主張した。憲法はじめ安全保障など、戦後続く基本的枠組みを支持するこの立ち位置は期せずして?中国にピッタリと寄り添う形となった。中国は5月に発表した国防白書《中国の軍事戦略》の中で、こう記して安倍政権を非難した。

 戦略的好機が到来

 《日本は戦後体制(レジーム)脱却を目指し軍事・安全保障政策の大幅な調整・変更を進め、地域の諸国家に重大な懸念を誘発/中国が主権を有する領土と海洋権益に対し、日本は挑発行動を採り、違法に中国島嶼を占領し、軍事プレゼンスを強化している》

 要は、集団的自衛権の限定的行使を可能にする安全保障関連法案の審議を止めさせ、沖縄県石垣市の尖閣諸島を中国領に取り込みたいのだ。《地域の諸国家》などと複数形を装うが《重大な懸念を誘発》されたのは中国と、希少な中国のお仲間国家だけ。世界中のどの国も「権利があり、行使もできる」集団的自衛権を、日本もフツーにできるようにする歩みに過ぎぬのだからむべなるかな。限定的とはいえ、集団的自衛権確立で米国や豪州との同盟が強化され、尖閣諸島占領を含む東シナ海や南シナ海の覇権が達成できなくなる事態を嫌っての、言い掛かりと言い換えてもよい。

 《重大な懸念を誘発》されたのは中国とお仲間国家だけとしても、個人のお仲間は日本国内に終戦直後よりいる。前述の元内閣法制局長官や、元長官を推薦した左翼政治家がまさに個人のお仲間に当たる。「中国に呼応してはいない」などと開き直られそうだが、中国は《軍事戦略》の中でお仲間に感謝した。

 《全般的に好ましい外部環境が形成され、中国の発展にとり戦略的好機が到来した。その隙に多くの課題を達成できる》

 実のところ文脈から観てこの一節は、バラク・オバマ大統領(53)率いる米国に向けられている。“関与政策”と形容するにしても、あまりに腰の引けた対中安全保障戦略を大歓迎して発せられた、中国の国防白書にしては極めて珍しいホンネ。ただ中国は、はるか以前より日本国内のお仲間の、有り難い協力にほくそ笑んできており、オバマ大統領に向けた前述の一節は次の如く深読みして差し支えあるまい。

 《日本でもこれまで通り、全般的に好ましい環境が形成され、中国の発展にとり戦略的好機は変わらない。隙だらけの日本のお仲間と心を通わせ課題を達成できる》

 米軍介入前に尖閣侵攻

 集団的自衛権の限定的行使に反対する日本人は無意識?だとしても、明らかに利敵行為を犯している。《中国の軍事戦略》の発表わずか半月前《米国防総省の年次報告書》が公表されたが、両資料を併読してみるがよい。《年次報告書》を総合すると、中国は米軍との本格的紛争を望まず、直接的衝突を回避。それ故、作戦地域を限定・特化し、米軍介入以前に勝利する短期戦を追求する-と考えられる。限定・特化した作戦地域には尖閣諸島が入る。無人の小島群・尖閣諸島は個別的自衛権の対象で、わが国独力で守らねば恥ずかしいが、米国との集団的自衛権が限定的ながら確立されていれば、抑止力強化につながり、中国もやすやすとは侵略できない。中国が日本に「軍国主義復活」のレッテルを貼り、日本が集団的自衛権を行使できるフツーの国になることを阻止したい理由がここにある。

 特別委で意見聴取された憲法学者も、安保関連法案を「戦争法案」と断じたが「軍国主義復活」と同様、表現が粗雑な分、一般庶民には分かりやすく、心に刻まれる。ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)や中国の初代国家主席・毛沢東(1893~1976年)ら、自由や民主主義とは最も遠い指導者が得意とした手法だ。だが、独裁者(国家)が強調する言葉に意味などない。《中国の軍事戦略》にも《平和》《和平》という、およそ中国とは似つかわしくない言葉がウンザリするほど登場する。いわく-

 《覇権主義と力の政治に反対し、勢力拡大を追い求めない。中国軍は世界平和を維持する信頼される軍であり続ける》

 《中国の平和的発展は全世界に好機をもたらせる》

 「日本の夏」に軍事行動

 南シナ海で軍事侵攻を含む島嶼占領を繰り返し、人工島さえ造って軍事基地網を拡大。東シナ海では日本領海に度々侵入する蛮行を、中国はいかに説明するのか。《米国防総省の年次報告書》でも《中国のいう平和はウソ》と指摘していたが、日本は近代以降今日に至るまで、国際スケールを描く中国のウソで、度々危機に陥れられた。

 しかし、中国が発信する“平和”を国外の危険因子だとするのなら、国内で生産される「平和」もまた、危うさをはらむ。沖縄戦で大日本帝國陸海軍の組織的戦闘が終わった6月23日を起点に、広島・長崎への原爆投下を挟み8月15日の終戦記念日まで、日本はお盆とも重なって「平和への祈り」一色になる。平和は尊い。御国のために散った方々に感謝し、思いもはせなければならぬ。ただ小欄は、中国が対日軍事行動を起こすとすれば、平和を観念的にとらえるだけで思考停止する「日本の夏」か正月だと観測する。

 「平和憲法・専守防衛」を叫べば侵略されないと信じる日本人は、“平和”を公言する中国人に似る。心の中が凶暴か否かの違いはあるが、どちらも実体を伴わぬエセ平和なのだ。

 ところで、沖縄県の翁長雄志知事(64)は23日、沖縄全戦没者追悼式で「平和宣言」の場を利用して、米軍基地反対の政治演説をぶった。知事は、中国に都合よい人物に授与される中国版ノーベル賞・孔子「平和」賞の有力候補になるかもしれない。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)

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