香港映画「中国化」進み低迷 大陸向け合作が急増、香港にこだわる若手監督も頭角

 

 「東洋のハリウッド」と呼ばれ、1980~90年代にアジアを席巻した香港映画が低迷している。香港が英国から中国に返還されて20年。チャイナマネー流入で大陸向けに「中国化」された合作映画が急増し、香港映画の年間作品数は全盛期の約2割に激減した。一方で、中国の検閲が課せられる合作とは距離を置き、香港にこだわる若手監督も頭角を現している。

 「大陸との合作を望むなら、フェイスブックなどでの発言にも気をつけなければならない」。香港インディーズ映画の崔允信監督(52)は、中国との共同製作の際には映画の内容だけでなく、監督の日頃の言動までチェックされると明かす。

 中国は国産映画の育成に力を入れる半面、昨年11月に検閲を強化する法律を採択。国家の安全に危害を加えたり、民族対立をあおったりする内容の映画製作を禁じた。崔監督によると、合作では政治だけでなく、同性愛や迷信を広める恐れがある幽霊を扱うのもタブー。公安当局者を悪者として描くことも禁じられているという。

 香港映画の低迷のきっかけは、返還直後のアジア通貨危機や2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)流行による不況だ。中国政府は経済てこ入れのため、香港と経済協力協定(CEPA)を締結。合作映画は中国国産作品として大陸での上映を認めるなど、文化産業でも段階的に優遇措置を打ち出した。

 ジャッキー・チェン、アンディ・ラウ、チャウ・シンチー。多くのスターや監督が大陸に本格進出し、香港映画界には中国資本が流入。合作が増える一方、香港影業協会によると、全盛期の1993年に年間234本製作された香港映画は、2013年には43本に激減した。

 「香港スターが(広東語でなく)北京語を話す姿なんて見たくない」。合作映画は香港で不評だが、北米に次ぐ世界2位の市場に成長した中国でヒットを飛ばしている。

 そんな中、1本の自主製作映画が香港映画界に一石を投じた。若手監督5人が中国の支配が強まる10年後の香港をオムニバス形式で描いた「十年」。大規模民主化デモ「雨傘運動」の翌年の15年に香港で上映されるや、内外で大反響を呼び、今年7月から日本でも公開された。

 伍嘉良監督(36)は第5話「地元産の卵」で、文化大革命時の紅衛兵をほうふつさせる香港の子供たちが、街中で「禁句」を取り締まる様子を描いた。大陸での上映は禁止されたが、DVDは今も売れ続けている。伍監督は「香港の政治や言論の自由は後退しつつあるが、その独自性にこそ価値がある」と力を込めた。(香港 共同)