【飛び立つミャンマー】高橋昭雄東大教授の農村見聞録(53)
■葉巻の町とタバコの村(下)
前回は「葉巻の町」ミンジャンのセーレイッコウン(葉巻製造所)の経営と町内での競争・共存の状況を概説した。そこでわかったのは、葉巻を巻くのはこの町ではなく、近郊の村に住む人たちであること、そして村々では葉巻の中に刻まれて巻かれているセーユェッジー(葉タバコ)も生産されていることだった。セーレイッコウン訪問の翌日、それら「タバコの村」をいくつか訪ねてみることにした。
◆絶妙な産地形成
村に行ってみると、あちこちの庭先で女たちが葉巻を巻いている。1本当たり3.5チャット(1チャット≒0.1円)の労賃だという。町よりも1チャット安い。3年くらいの経験で、8時間に1200本巻けるようになる。これで4200チャットの収入ということになり、法定最低賃金の3600チャットより高い。さらに1000本巻くと100本分ほど材料があまり、これは自分で処分できる。これでは村を出て縫製工場などで働く気にはならないだろう。
葉巻の材料をセーレイッコウンから持ってきて、村でできた製品を同じセーレイッコウンに納めるのが、コミッション・プエザーと呼ばれる仲介業者である。上記のように労賃の差額分を収取したり、1万本納めたら5000チャットというように定額の手数料をもらったりと、仲介料の形式はいろいろある。中には1日に8万本納めて4万チャットも稼ぐ凄腕のプエザーも村にいる。
セーレイッコウン←→プエザー←→村人は1本の線で結ばれており、それが村の中に何本も入り込んでいる。特定のセーレイッコウンやプエザーが一つの村を抑えるというようなことはない。隣同士で仲良く葉巻を巻く村の娘たちが、それぞれ異なるブランドの葉巻を製作していることもしばしばある。一対一の個人ネットワークで結ばれるミャンマー社会の特性がよく表れている光景である。
村はまた葉巻の原料となる葉タバコも生産する。紙巻きたばこ用の葉タバコは、世界で広く栽培されている黄色種(Flue-Cured)で、バガンの対岸のミッチェーが産地として有名だが、ミンジャンの村々で栽培されているセーユェッジーはそれとは異なるミャンマー固有のものである。8月から2月にかけて栽培され、その生産費は1エーカー(約0.4ヘクタール)あたり40万チャットと、コメやゴマに比べてかなり高い。そのうち労働費が半分を占め、数カ月乾燥させた後の仕分けも手作業という、手間と時間のかかる作物である。そして、葉巻プエザーとは異なる、葉タバコのプエザーを通じてセーレイッコウンに納入される。
このように葉タバコと葉巻の生産過程で町と村の人々は複雑に絡み合い、ミンジャン・セーボーレイッ経済圏を作り上げている。それぞれの生産過程が労働集約的であるがゆえに多くの雇用機会を生み出している。絶妙な産地形成の事例であると言えよう。
◆大きな変化の時
だがそこには大きな逆風が吹いている。第一に環境問題である。タナペッはシャン州の山間地でパオ人によって栽培されるが、この葉を乾燥させるのに大量の薪を要する。その薪のためにパオ人が森林を伐採するので山の保水力がなくなって農業に支障が出ている、タナペッに使う農薬と肥料が水を汚染している、と山麓に住むシャン人から不満の声が上がっている。
第二は競争問題である。1988年までの社会主義時代には、国営企業がまずくて高い紙巻きたばこを作っていただけだったので、都市でも農村でもたばこといえばセーボーレイッだった。しかし、90年代の軍政期に貿易の自由化が進むと、外国製の紙巻きたばこが入ってくるようになり、都市部を中心にこれを吸う人が増えた。さらに2012年外国投資法により、日本たばこ産業(JT)やBritish American Tobaccoといった世界的企業が、ミャンマーの低いたばこ税に引かれて参入し、紙巻きたばこの生産量は一気に拡大した。低価格のセーボーレイッは今も農村部で人気が高いが、農村の所得が上がり、紙巻きたばこ企業が攻勢をかけるならば、農村部でもセーボーレイッから紙巻きたばこへの需要シフトが起こるかもしれない。
第三が健康問題である。2015年から紙巻きたばこにも葉巻にも、「たばこを吸うと肺がんになる」とのキャプションが入った、肺が真っ黒な毒々しい写真をパッケージいっぱいに張らなければならなくなった。このような反たばこキャンペーンやこれからますます増えるであろう特別な課税は、喫煙人口そのものを減少させずにはおかないだろう。
王朝時代から続くセーボーレイッ文化・経済圏は、大きな変化の時を迎えているように思われる。
(参考文献:松田正彦「紫煙がつなぐ平原と高原」落合雪野・白川千尋(編)『ものとくらしの植物誌:東南アジア大陸部から』 臨川書店 2014年)
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