ここにある「竹島」…島根、鳥取にみる「史実の重み」

 
島根、鳥取両県にある竹島とのゆかりのポイント

 男島(西島)と女島(東島)の2島を中心に数十の岩礁からなる小さな島嶼「竹島」。17世紀初めにはすでに鳥取藩・米子の商家が竹島と関わり、現在は島根県隠岐の島町に属するなど、山陰両県とも深いつながりを持つ。その竹島は今、韓国が武装要員を常駐させて不法占拠し、日本人は立ち入れない状況が長きにわたって続いている。米子の商家、大谷・村川両家が幕府から「竹島」(現在の鬱陵島)への渡海許可を得た1618年(1625年の説もある)から、400年に当たる平成30(2018)年。山陰両県に今もある竹島とのつながりやゆかり、面影などをたどりながら、この島々が山陰地方の一部であることを再確認したい。

膨大な資料

 鳥取市の鳥取県立博物館を訪ねると、歴史・民俗展示室の一角に竹島コーナーがある。約10年前に設けられ、鳥取藩が幕府に提出した竹島の絵図などを公開している。コーナー自体はコンパクトだが、背後にある関係資料は膨大だ。

 同館が所蔵する竹島関係資料は、鳥取藩の公文書約1万5千点や公務日記を収めた「鳥取藩政資料」と、藩士の岡嶋家が残した「岡嶋家資料」に大別される。そこには江戸時代前期から、鳥取の商人や藩、そして幕府もさまざまに竹島に関わった足跡が残る。

 海運業を営む米子の大谷家は、越後からの帰路、風に吹き流され、無人島に漂着する。アワビなどの資源が豊かなのに着目し、同業の村川家と幕府に渡航許可を申請。それから両家は毎年、交代で漁に出かけた。鳥取と「竹島」が関わった重要な一歩だ。

 「岡嶋家資料」中、「竹島渡海由来記抜書」には、幕府が両家に与えた「渡海免許」の写しが残る。当時、漁業にこうした免許が必要とは考えられず、特殊事例。その頃、両家の他にも「竹島」に渡る日本人がおり、両家が独占的に操業するため、幕府に公認を求めたとみられている。

 ただ、当時「竹島」と呼ぶのは、今の竹島の北西で朝鮮半島寄りの鬱陵島のこと。両家は鬱陵島への海路の途中にある「松島」(今の竹島)でもアワビやアシカを獲ったり、停泊したりした。こうした営みが、外務省が「遅くとも江戸時代初頭には竹島の領有権が確立された」とする根拠の一つになっている。

 一方、17世紀末、朝鮮の国禁を犯して鳥取に2度来航し、帰国後の取り調べで「日本の幕府から竹島を朝鮮領とする書き付けを得た」との意味の供述をした安龍福についても、鳥取藩政資料に記述がある。

 安龍福は1696年、2度目の来航時、鬱陵島などの徴税官を詐称する旗を船に立てていた。藩政資料のうち「因幡志」には、その旗が子細に記されている。安龍福の来航から1世紀も後の地誌「因幡志」に記録が残ることから、同館の来見田博基学芸員は「地域にインパクトのある出来事だった」とみる。

 しかし、幕府とやりとりをしながら、外国人である安龍福の扱いを対応した鳥取藩の資料には、「安龍福が何を主張したかという記録は全然ない」という。

 韓国は、朝鮮の記録書「朝鮮王朝実録」に記された安龍福の供述を、竹島の領有権の根拠の一つにしているが「供述のどれ一つとっても日本側の記録で確認できるものはない」(来見田学芸員)実態がある。

 鳥取県立博物館が収める関係資料は、竹島を考える際の史実の重みを物語っている。  

アシカ猟のパイオニア

 島根県隠岐の島町の北西部にある久見地区は、近代以降、竹島周辺の漁猟をめぐる最前線基地だった。住民の多くがアシカ猟やアワビ漁やなどに携わり、現時点で山陰両県の中で最も竹島の記憶が濃く残る地域といえる。とはいえ、昭和29年5月を最後に久見の竹島漁業は途絶え、実際に竹島を知っている住民ははほとんどいなくなってしまった。

 久見地区で「アシカ猟のパイオニア」と呼ばれた人物が、石橋松太郎(1863~1941年)だ。日本政府が明治38(1905)年に竹島を日本領に編入した閣議決定以前の30年頃から、石橋は竹島周辺でアシカ猟などを営んでいたとされる。

 「石橋のアシカ猟はかなりもうかったようで、親族が書き残した記録には『竹島から帰るたびに有志を集めて酒盛りをいたします/家も新築しました。新築祝いには盛んな祝いをしました』などとあります」と、竹島に関する調査を手がける隠岐の島町竹島対策室。

 その“新築した”とされる屋敷が今も残っている。残念ながら、当初建てた場所から移築されているが、往時の面影をよく残しているそうだ。

 梁(はり)や柱は、地元産の良質な松材が使われ、梁の長さは約20メートルと、当時の久見地区としては極めて立派な屋敷の一つ。江戸時代の庄屋の流れをくむ有力者の家と並ぶ豪邸だったという。

 のちに石橋は経済的に疲弊し、屋敷などを手放すことになるが、重要なのは住民がアシカ猟などの経済活動で竹島と関わっていたこと。「明治30年頃から一貫して、日本が竹島を実際に占有してきた証拠になる」と町竹島対策室が説明する。

 「すごい祖父だったんだな、と思う」。こう振り返るのは、石橋の孫の佐々木恂さん(84)。祖父の漁猟体験の「語り部」として活動を続けてきた佐々木さんは「竹島で造った酒を隠岐に持ち帰って売ったらもうかったという話を聞きました」と話す。旧石橋邸などを含む町内の「竹島ゆかりの地」をめぐる“ツアー”ができたら、「そこで、祖父の思い出を語り伝えたい」と夢を思い描いている。