【高論卓説】セクハラ騒ぎ、野党の離合集散、日本の針路
■「こだわる」ことに「こだわら」ない
権力を振りかざしてのセクハラか、あるいは男性が口説く権利か。ハリウッドでの騒動に端を発した前者を非難する「#me too運動」に対し、大女優のカトリーヌ・ドヌーブが、後者を擁護して物議を醸している。もちろん、合意なき暴力や本人の感情を無視した執拗(しつよう)な干渉は許されない。ただ、一般論的には、私もさすがに、パワハラ、セクハラ、モラハラなど、ちょっと騒ぎすぎとも思う。数え方によっては、「○○ハラ(スメント)」は30~40あるそうだが、これでは何をしても地雷を踏みかねず「ハラハラ」せざるを得ない。
こうしたハラスメントの根源にあるのは、何かに対する「こだわり」である。「何としてもこの異性と結ばれたい」「どうしてもこの仕事の進め方はこうでなくてはならない」などの感情の高まりの結晶である言動が、受け止め側にはセクハラ、パワハラになるわけだ。
執着して譲らない姿勢は一般的に迷惑だが、時に困難を突破して自己の人生や周囲を輝かせる一助となる。「こだわり」は常に悪というわけではない。われわれは喜んで「こだわりの味」のラーメンをすする。しかし、「こだわる」は、原義的には否定の用語らしく、ご年配の方などは、人によっては「こだわりの逸品」などの文字を見るとかえって購買意欲を失うそうだ。
現在、野党、特に希望の党と民進党の議員が、離合集散をめぐって騒ぎを繰り広げている。安保法制や憲法改正をめぐるスタンスの違いから、「こだわり」のある各人が、口角泡を飛ばして議論し、離党も辞さないと息巻いている。
そんな中、「こだわりを捨てて、一緒になること」に「こだわる」人もいる。保身行為と非難もされようが、私も野党が本来の役割を果たすためには、今はそれが重要だと思う。信念の政治家として「こだわり」の政策を守るのは勇気があるようで、その実、精神的には楽だったりもする。
与党も、自公のスタンスの違いが代表的だが、自民党内も、実は各人が「こだわり」を捨て、内心じくじたる思いを持ち、支持者に批判・非難されながら、苦渋の決断をして政策を進めている。安保法制にしても、消費税率の引き上げにしても、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)にしても。「物事を前に進める」という「こだわり」こそが、学者ではない、政治家の役割だと私は思う。
保守と革新という用語が長らく日本の政治を説明してきているが、「こだわる」態度は、国語的には本来「保守」という語と親和性が高い。「墨守」に近いイメージだ。「9条を守る」「増税はさせない」という革新系が主張する「守る」態度、「こだわり」の姿勢は、日本の革新を実は止めているとも言える。
日本を長期的に保守するため、憲法を改正して国防を強化することは当然のこととして、例えば、税制にしても、常識的には、消費ではなく貯蓄により重くかける姿勢への転換が重要だ。こうした保守派による革新的な動きは、「こだわる」革新系に止められている。
エッセーの一体性に「こだわっ」て、無理に冒頭とつなげて考えるならば、女性も仕事も、うまくいかない場合には、ハラスメント化しないよう、「こだわり」を捨てることが肝要なのかもしれない。
【プロフィル】朝比奈一郎
あさひな・いちろう 青山社中筆頭代表・CEO。東大法卒。ハーバード大学行政大学院修了。1997年通商産業省(現経済産業省)。プロジェクトK(新しい霞ヶ関を創る若手の会)代表として霞が関改革を提言。経産省退職後、2010年に青山社中を設立し、若手リーダーの育成や国・地域の政策作りに従事。ビジネス・ブレークスルー大学大学院客員教授。44歳。
関連記事