今なお続くタイ・カンボジア国境封鎖 領土問題解決後も両軍にらみ合い
タイ東北部イサン地方。カンボジアと国境を接するシーサケート県南部の山岳地帯にタイの陸軍と治安警察が駐屯するエリアがある。ヒンドゥー寺院で知られるプレアビヒア寺院(タイ名:プラーサート・プラウィハーン)とその関連施設に通じる一帯だ。同寺院をめぐっては1世紀以上も前から領土問題が争われていたが、2013年に国際司法裁判所がカンボジア領とする判断を示し、法の上では決着がついた。にもかかわらず、今も国境は固く封鎖され、鉄条網や鉄柵を挟んで、タイ、カンボジア両軍が24時間体制でにらみ合いを続けている。
後ろから兵士
シーサケート県南部カンタララック郡からプレアビヒア寺院に通じる山道が始まる。道は急勾配で車のアクセルペダルはずっと踏んだままだ。30分ほど走ってようやく最終の駐車場に着く。そこから先は徒歩で岩山を進まねばならない。
寺院はダンレック山地の三方が切り立った崖となった岩山の上に立つ。標高は約650メートル。崖の高さはいずれも500メートルを超す。タイ側からが唯一の自然の登山道となっており、カンボジア側からは容易に登れない。これが帰属問題を複雑にさせてきた。
イサン地方の4月は真夏で日差しが強く、少し歩くだけで汗が噴き出てくる。どうにか岩肌を進むと、半分埋もれたトーチカのような建造物が見えてきた。中をのぞき込もうとしたとき、後ろから「誰だ」と声がした。現れたのは、上半身裸の陸軍兵士だった。非番らしく武器は持っていない。それでも眼光は鋭く、おびえながら取材に来た旨を告げると、表情を和らげ敷地内を案内してくれた。
ソムという名のその兵士は階級章から伍長らしかった。東北部ナコーンラーチャシーマーの出身で、年齢は37歳。間もなく駐屯1年になるといい、訪ねたときは木を削って木製のやりを作っていた。「カンボジア軍と小競り合いはあるのか」と聞くと、笑って首を振る。両国友好のためには国境を開くべきではないかとも尋ねたが、それには一言も答えなかった。代わりに「あっちが治安警察の駐屯地だ」と教えてくれた。
治安警察が受け持つ国境近くで見張り番をしていた若き隊員にも話を聞いた。23歳のトムで、やはり東北部のコーンケーン出身だ。ここに来て4カ月。任期満了までまだ8カ月もあると話していた。部隊では、若い隊員が炊事や清掃などの当番に就くという。「ここには菜園もありますから、野菜不足にはなりません。すっかり料理の腕も上がりましたよ。シャワーも雨水をタンクにためて、衛生には十分気をつけています」と説明してくれた。
その青年隊員の表情が一瞬にして変わったのは、筆者が国境方面に向けてカメラを構え歩き出したときだった。「国境を越えたり、人物を写したりしてはいけません。カンボジア軍の兵士についても同様です」。軍事訓練で鍛えられた声には張りがあった。撮影後は一コマ一コマ確認を求められた。幸い、とがめだてられる写真はなかったが、もし消去を拒絶して身柄を拘束される事態にでもなったらと考えると、少し寒々しい思いがした。
トムは、故郷に幼なじみの恋人がいると言った。赴任前の訓練もあり、会えなくなってもう半年になる。任期が終わったら婚約するという。治安警察に志願した理由については、「家が貧しかったから」とぽつり。軍や警察部隊にイサン出身者が多いことへの質問については笑って答えなかった。最後に、「プレアビヒア寺院は今でもタイ領だと思っているか」と尋ねてみた。少し間を置いてトムは言った。「もちろん、あの土地はわがタイ王国の土地だ。そう思ってこの任務に就いている」
判決から5年の今も
1904年のシャム仏条約をきっかけとしたタイ・カンボジア国境紛争は、戦後になっても小競り合いが絶えなかった。カンボジアは国際司法裁判所への提訴で対抗。タイは、武力で実効支配を続けた。寺院が世界遺産に登録された2008年以降は、大規模な武力衝突も発生。死傷者も出ている。このときの陸軍司令官が、現在の軍事政権を率いるプラユット暫定首相だ。
この間、タイの歴代政権は、有効な具体策を何ら提示できずにいた。「愛国心」が政権を揺るがしかねない危険をはらむと捉えていたからだ。ようやく解決に向かったのは11年にインラック首相がカンボジアを訪問してから。13年には国際司法裁判所もカンボジア領との判断を示し、対峙(たいじ)する両軍も治安部隊を残して撤退を進めた。
それから間もなく5年がたつ。だが、国境は依然閉ざされたままで寺院への参拝再開を願うタイ側の望みは今もかなえられていない。治安部隊のにらみ合いにも終わりは見えない。陸上の国境が持つ複雑な問題が、ここには存在する。(在バンコクジャーナリスト・小堀晋一)
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