【専欄】最強!“幼なじみ”の絆 ノンフィクション作家・青樹明子
先日北京を訪れた際、友人から絵画展に誘われた。友人の一人娘、小学4年生のお子さんの作品展である。幼稚園時代の友人との共催で、つまり“二人展”だ。物心ついた頃から絵画教室に通っていたというキャリアの長さもあり、作品のレベルの高さは小学4年生とは思えない。中国・一人っ子の底力を見たような気がした。
二人展のタイトルは「発小児」。聞きなれない単語だったが、北京の方言で「幼なじみ」の意味だという。発小児は近年とみに注目されている。「発小児無くして北京は語れない」「幼い頃からともに育った友・発小児は生涯の宝である」等々、頻繁に登場する言葉だ。
一人っ子政策の影響で、兄弟姉妹がいない子供たちにとって、幼稚園や小学校時代の友人は、すでに家族同然である。問題は、中国と日本では「友人」の概念が全く異なっている点だ。
日本では「親しき仲にも礼儀あり」で、一定の距離を保つのが、友人関係の基本である。迷惑をかけないことが、長く付き合うコツであり、特に「金銭の貸し借り」は「人間関係を壊す」と考える。しかし、中国は真逆である。友達のためなら、自分の身を犠牲にするのが美徳と考える。
中国人コラムニスト張石氏は、自らのコラムでその実例を挙げている。
「某中国人が日本で失業してしまった。日本の友人に職探しを依頼したのだが、その途端、友人関係が断たれてしまった」 「別の中国人は、ある時手元不如意の事態に見舞われ、日本の親しい友人に今月だけ家賃を立て替えてくれないかと頼んだ。友人は黙って支払ってくれたが、その後関係が途絶えてしまった」
裏を返せば、中国人の場合、職探しもお金を貸すことも、親しい友人の間であれば、当然の行為と考えるのである。
中国人の友人関係とは「苦楽をともにすること」で、友人が苦境に立たされたら全力で救いに行く。中国人と対峙(たいじ)する際、場合によっては、その友達全てが関わってくることを忘れてはならない。平凡な一般庶民でも、幼なじみに、中国社会に強い影響力を持つ人物がいるかもしれないのである。
小学4年生2人の二人展「発小児」に集まったのは、同じ幼稚園で過ごした幼なじみたちと保護者である。彼らは中学・高校・大学と、それぞれ別の道を歩むだろう。何人かはすでに海外留学を予定しているという。たとえ違う人生を歩んでも、幼なじみの絆は最強であり、永遠に途絶えることはない。
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