“本庶発明”の教訓 知財裁判の改革を急げ
京都大学の本庶佑特別教授は、画期的ながん免疫治療薬「オプジーポ」を発明し、世界中の多くのがん患者の生命を救い、2018年にノーベル医学・生理学賞を受賞された。これは日本人の誇りだ。本庶教授は、特許の対価で基金を作り、若手研究者を育成したいと考えている。(知財評論家、元特許庁長官・荒井寿光)
しかし、特許の対価をめぐり、薬を販売している小野薬品工業との間で紛争が続いている。報道によれば、本庶教授は、国際相場からすれば6000億円、最低でも1000億円が妥当と主張し、小野薬品は当初の契約で計算すれば26億円だと主張し、両者は鋭く対立している。驚くことに、この交渉が既に8年間行われていて、まだ決着の見通しが立っていない。早く決着して、本庶教授の指導の下に若手研究者が新しい研究をすることは、皆が望むことだ。9月に提訴すると報道されているが、裁判所が知財紛争の解決手段として機能していないともいえる。
小さすぎる費用対効果
年間の特許訴訟件数は、米国の約4000件、中国の約1万6000件に比べ、日本は約200件と極めて少ない(17年、特許庁調べ)。
大きな理由は、日本では知財裁判はコストパフォーマンス(費用対効果)が悪いからだ。裁判で勝っても弁護士費用すらカバーされず、持ち出しになるケースが多い。14年に出された特許裁判の判決を調べたところ、全部で56件の判決があり、原告が勝訴したのは13件にすぎず、賠償金額は平均で約3000万円で、100万円以下のものが4件もある。
さらに、裁判所に行かず、話し合いで解決しようとする風土がある。しかし、話し合いは、大企業と中小企業、個人発明家、大学などの間でなされるときは、資金も人材もそろえた大企業が有利だ。公正取引委員会が昨年秋に知財をめぐる「下請けいじめ」を調査したところ、約730件の知財侵害が発見された。しかし、ほとんどの下請け企業は大企業を裁判所に訴えず、泣き寝入りしている。
経済再興の足掛かりに
米中知財紛争は、知財が企業のみならず国家の安全保障や国際競争力の観点からも極めて重要になっていることを示している。日本が国際競争に勝ち抜くためには米中に負けずに、「知財を生む・育てる・守る」という知財立国運動を再興しなければならない。知財は無体財産なので裁判所で守ってもらえなければ無価値だ。知財をしっかり守る知財裁判の改革が必要だ。
第1に、裁判所のアクセスを良くする。知財の役割が大きくなるとともに、知財紛争が増える。知財紛争が起きたら、当事者の話し合いに任せるだけでなく、裁判所に行って公平な判断を仰ぐように風土と手続きを変える。憲法32条は、国民の裁判を受ける権利を保障している。
第2は、損害賠償額を引き上げる。裁判所による損害賠償額は、国家機関による知財価値の認定だ。
高くなれば発明や創作のインセンティブが高まる。特許裁判の最高額を比較すると、米国は2844億円で、中国でも57億円になっているが、日本は17億円にすぎない。中国はさらに引き上げる方針だ(対象期間07~17年、特許庁調べ)。
第3は、透明性を向上する。日本の知財裁判は分かりにくい。公開の弁論は準備書面の交換にすぎず、非公開の準備室で和解が勧められることが多く、不透明だ。中国では、既にインターネットで裁判を中継している。日本でもネット中継をすれば、国民の裁判に対する信頼性が高まる。
裁判所が知財の価値を高く認定すれば、優秀な若者が発明に身を入れ、ベンチャー企業を起こしてくれる。スポーツと同じく報酬金が高くなれば優秀な人材が集まる。日本人の創造的能力を発揮し、良い発明を生み出し、文明に貢献すること、これは日本経済の再興につながる有効な成長戦略だ。
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【プロフィル】荒井寿光
あらい・ひさみつ 東大法卒、ハーバード大大学院修了。通商産業省(現経済産業省)入省、特許庁長官、通商産業審議官、初代内閣官房・知財戦略推進事務局長、世界工業所有権機関政策委員を歴任。退官後、日本初の「知財評論家」を名乗り知財立国推進に向けて活動。著書に「知財革命」「知財立国」。75歳。長野県出身。