プライバシー保護で世論二分 中国が目指すデジタル社会の課題
外交も内政も種々の悩みを抱えて多事の秋を避けられない中国だが、10月1日の国慶節で建国70周年を迎えるため祝賀ムードが高まっている。経済面では景気の下振れ圧力が強まっているが、以前から推し進めてきた「数字経済」(デジタルエコノミー)は活況を呈している。上海社会科学院応用経済研究所の予測によると、中国のデジタルエコノミーは2030年に国内総生産(GDP)に占める割合が現在の3割弱から8割に達することになるという。(伊藤忠総研産業調査センター主任研究員、チョウ・イーリン)
日本が「ソサエティー5.0」(超スマート社会)というビジョンを掲げているのに対し、中国は人工知能(AI)など分野別の産業促進策を打ち出す。社会全体のビジョンが欠けているという指摘もあるが、中国が挙国一致体制で「DX(デジタルトランスフォーメーション)」に積極的に取り組むことは間違いない。
中国ではモバイル決済をはじめとするユーザーサイドのデジタル化が急速に進む。さらに、それをテコに消費分野から交通、医療、金融、行政などさまざまな領域へとウイングを広げ、社会全体のデジタル化につなげようとしている。現在、スマートフォン1台と、日本のマイナンバーカードに相当する身分証があれば、あらゆるサービスを受けられるようになっているといっても過言ではない。
この夏、遼寧省瀋陽市で友人の銀行口座開設手続きに同行した。身分証を機械でスキャンしてから顔写真を撮り、本人確認ができれば、その場でデビットカードが発行された。書類の記入がなければ、所要時間は5分もかからなかった。一部の地域では電子身分証を発行するパイロット実験も始まっている。
一方、プライバシー保護の問題をめぐっては世論が割れている。中国ネット検索大手、百度(バイドゥ)の創業者で最高経営責任者(CEO)の李彦宏氏は、昨年3月の中国発展ハイレベルフォーラムで、「中国人はオープンで、便利さを得るためにプライバシーを犠牲にしてもいい」と発言して波紋を呼んだ。中国社会の現実を「どうしようもない」と考えて李氏に同情する人と、プライバシーを重んじるべき大手IT企業トップの「失言」を批判する人との間で論争が起きた。
最近では授業中の学生の様子や授業への集中度合いを顔認証技術を使って判断していることに対し、教育現場での顔認証技術導入を称賛する人と、それに反対する人とが激しく対立した。
また8月末にはSNSを手がける中国の会社が、AI技術をベースにした「ZAO」というユーザーの顔写真をドラマなどの人物に変える顔交換アプリをリリース。すぐに話題となってダウンロード数が急増したが、「写真データの取り消しは不可能で、譲渡可能な形でZAO側に帰属する」という利用規約にユーザーの不安と批判が急増。政府機関である中国工業情報化省が規約修正のリクエストを出すほどの騒動になった。人気を博したアプリがその直後にプライバシー問題で、これほど批判を浴びたのは初めてのことかもしれない。
中国が目指すデジタル社会の青写真では「利便性と効率性」が重要な要素とされているが、それに加えてプライバシーとのバランスをどう保つかが重要な課題となりつつあるようだ。
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【プロフィル】趙●琳
チョウ・イーリン 伊藤忠総研産業調査センター主任研究員。2008年東工大院社会理工学研究科修了、博士(学術)。早大商学学術院総合研究所、富士通総研を経て、19年9月から現職。中国遼寧省出身。
●=偉のにんべんを王に