【5時から作家塾】フィリピン・マニラに設置予定だった4カ所目の慰安婦像 設置支援の背後にある団体とは
2019年8月25日、フィリピンの首都マニラの教会敷地内に同国4カ所目となる慰安婦像と記念碑の除幕式が行われた。もっとも慰安婦像はなく、設置予定の高さ1.5メートルくらいの黒い台座と銀色のプレート碑のみでの除幕式だった。それから続報がなかったので、11月中旬に現地を取材してみた。
場所は、ニノイ・アキノ国際空港の一部があるパラニャケ市にある同市最大のカトリック教会「バクララン教会」の敷地内。同市は、メトロマニラと呼ばれるマニラ圏を構成する1市で、高層ビルが立ち並ぶ副都心といった経済エリアだ。同教会から日本大使館は、マニラ湾に沿って1本道で1キロメートルほどの場所に位置する。
訪れた日は平日の昼前だったが、多くのカトリック信者たちで賑わっていた。治安に不安があるマニラらしく、入り口では2人のガードマンが荷物検査や通過する車の下へ鏡を入れて爆弾チェックをしている。異教徒でも別に訝しがられることなく入ることができた。
大聖堂は巨大で、南国らしく風を入れるための窓が大きく設けられており、多くの扇風機が信者たちの熱気をかき回している。
台座以外何もなかった
慰安婦像の場所を8月の報道写真から探すも、なかなか見つけることができない。何人かに尋ねていくと大聖堂を正面に見て入り口との中間ほどの場所右手の壁際にその場所があった。
なぜ見つけるのに苦労したかと言うと、黒い台座以外何もなかったからだ。除幕式のときにあったプレート碑も設置されておらず、台座の接地面を見るとコンクリートや接着した跡もなく真っ平らなので慰安婦像自体も設置していないようだ。
台座の土台部分は、ちょっと座りづらそうなベンチになって若い信者たちの語り場になっていた。
教会関係者へ、あの場所に像は設置されたのかと尋ねると、「まったく分からない。どんな除幕式があったかも私は知らないので設置されたかも知らない」と関心は低そうに感じた。
教会の敷地内なら公権力によって撤去されないだろうとこの場所が選ばれたようだが、慰安婦像自体は設置されず、プレート碑も確認できなかった。
実は、ここへ設置される予定だった慰安婦像は、フィリピンで最初に設置された慰安婦像を移築する予定だったが、なぜか未遂に終わっていた。
過去3カ所の慰安婦像
ここでフィリピンの過去3カ所の慰安婦像を振り返ってみると-
1.2017年12月、これは日本でも大きく報じられた美しいサンセットで有名なマニラ湾を望む一角に、初の慰安婦像が設置された。像は翌18年4月に水道管工事を理由に台座ごと撤去。
2.2018年12月、マニラから少し南のラグナ州サンペドロ市の高齢者介護施設内に少女像が設置されるも、同市の指示で2日後に撤去。
3.2019年2月5日、リゾート地ボラカイ島対岸の個人所有の駐車場に女性2人をモデルにした慰安婦像が設置。現在も建つ唯一の慰安婦像となっている。
フィリピンの慰安婦像は、十代後半から若い成人のフィリピン人女性がモデルとされ、2日で撤去された2のみ韓国でタケノコのように増え続ける韓国人少女をモデルとした少女像だった。
韓国スタイルの少女像が設置されたことから分かるように、2は韓国人系団体が支援して設置したものだ。他の1と3、そして、冒頭のバクララン教会に設置しようとした慰安婦像は、華人系団体が支援している。“華人系団体が”という点がポイントとなる。
ちなみに、未設置に終わったバクララン教会に設置される予定だった慰安婦像は、撤去された1の像だった。撤去後、製作者が保管していたらしいが、盗まれたとかなんとかで消息不明になっており、どうやらそれで未設置のままのようだ。
華人系団体がなぜ慰安婦像設置を支援するのか
華人系団体がなぜ慰安婦像設置を支援して進めるのか。華人系団体が日本を批判し、反日を煽り、韓国人系団体と連帯して政治利用するのには理由が存在する。
フィリピンに限らず、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムなど東南アジア諸国は華人(中国系の海外居住者で、居住国の国籍を持つ人)が経済と富を得て財閥を形成していることが多い。
フィリピンでの代表的な華人は、同国最大の財閥「SMグループ」を築き、個人資産1位だったヘンリー・シー氏(94歳・2019年1月没)だろう。氏は、12歳で中国福建から家族でフィリピンへ移住した中国系1世だった人物だ。
インドネシアでも華人に対する大規模暴動が起こるなど華人に対する反発は、東南アジアでは根強い。反発の原因は、アジア人が同じアジア人を奴隷のように搾取した上に築かれた富だと多くの人が認識しているからと言われ、華人系団体が人権問題や日本批判を度々政治利用するのは、過去の自分たちの蛮行とも言える行為を覆い隠したいという思惑が背後にあると指摘する歴史学者も少なくない。
ドゥテルテ政権となり、首都マニラの治安は劇的に改善したことは、以前お伝えしたが、今マニラでは「グラブフード」(「ウーバーイーツ」の東南アジア版)のドライバーを頻繁に目にする。それだけニーズがあり、雇用が増えているのだと感じさせる。
マニラが安全になり雇用が増えた影響か、マニラの周辺都市からより高給な仕事を求めてマニラへ移動する人が増えている。著者が10年来連絡を取っていたルソン島中部のバギオのフィリピン人も、連絡するとマニラに単身で引っ越ししていた。よい職が見つかれば、家族も呼ぶと話す。
治安が改善し、首都経済も回り始めているフィリピンで今後も慰安婦像の設置が増えていくのかは、前出のような華人系団体の政治利用する動きと連動していることを日本人としては、頭の片隅に入れておきたいところだ。(筑前サンミゲル/5時から作家塾(R))
【プロフィール】5時から作家塾(R)
1999年1月、著者デビュー志願者を支援することを目的に、書籍プロデューサー、ライター、ISEZE_BOOKへの書評寄稿者などから成るグループとして発足。その後、現在の代表である吉田克己の独立・起業に伴い、2002年4月にNPO法人化。現在は、Webサイトのコーナー企画、コンテンツ提供、原稿執筆など、編集ディレクター&ライター集団として活動中。
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