【中国を読む】中国の「一帯一路」構想 ミャンマーへの思惑
中国が推し進める「一帯一路」構想は、習近平国家主席が2013年に提起して以降拡大を続け、現在ではアジア、アフリカ、欧州にまたがる広大な経済圏構想に発展した。沿線国家・地域は100以上に上るといわれるが、その中の一つであるミャンマーは、雲南省やチベット自治区の一部と国境を接し、中国西南部からインドシナ半島を経てインド洋に抜けるルート上に位置し、中国にとって地政学上重要な拠点である。(アジア経済研究所・水谷俊博)
ミャンマーを1988年から2011年まで統治した軍事政権は当時、アウン・サン・スー・チー氏(現国家顧問兼外相)を自宅軟禁に処するなど、民主化運動をことごとく弾圧し、欧米諸国から厳しい経済制裁を受けた。日本はミャンマーに対し経済制裁こそ科さなかったものの、政府開発援助(ODA)を大幅縮減する措置を取った。
権力空白地に狙い
こうして日米欧による関与が急速に弱まり、権力の空白地帯となったミャンマーに忍び寄ったのが中国であった。ミャンマーの地理的な優位性に目を付けた中国は、当時の軍政と蜜月関係を築くことで、ミャンマー国内にパイプラインを敷設するプロジェクトを急ピッチで進めていった。結果、雲南省の瑞麗とインド洋に面したラカイン州のチャオピューを結ぶガス・パイプライン(全長約800キロ)が13年に完成し、現在は原油パイプラインも開通している。このことは、中国がマラッカ海峡を通らずとも中東からの原油や天然ガスを輸入するルートを確保したことを意味し、中国のエネルギー安定供給においても重要な意味を持つ。
ミャンマーを通じたエネルギーの安定確保によってますます緊密性が深まる両国であるが、雲南省の瑞麗とミャンマーのムセをつなぐ国境輸送により、中国とミャンマーのモノの移動も近年さらに活発になっている。昆明税関の統計によると、中国・ミャンマー間の国境貿易(輸出入の合計)は00年は3億6000万ドル(約394億円)だったが、18年には68億9900万ドルと20倍近くに拡大した。中国からミャンマーへは電化製品、トラックなどの車両、一般機械などが多く輸出されており、ミャンマー国内では多くの中国製品があふれかえっている。一方、ミャンマーからの輸入は上述の天然ガスや原油に加え、鉱石やゴムなどの天然資源が多くを占めている。
警戒感強く距離模索
しかし、圧倒的な経済力を有する中国に対するミャンマー側の警戒心は根強く、アウン・サン・スー・チー氏も国内世論に配慮しながら中国との距離感を模索する。折しも、ラカイン州のイスラム教徒であるロヒンギャの対応をめぐって欧米諸国と対立する同氏にとって、国連安保理でミャンマーを擁護する立場をとる中国は、大きな後ろ盾となっている。圧力をかけ続ける欧米諸国と一線を画し、国際社会にミャンマーに対し建設的な支援を訴える中国は、かけがえのない存在となりつつある。19年4月に北京で開催された第2回「一帯一路」国際協力ハイレベルフォーラムに、アウン・サン・スー・チー氏は2年連続で出席し、ミャンマーの平和と国民和解に向けた中国の継続的な支援を改めて要請した。
ミャンマーを経由し中国西南部をインド洋とつなげたパイプライン敷設プロジェクトは、「一帯一路」構想の中で最も成功したプロジェクトの一つとみなされている。さらに現在、中国とミャンマーとの間では、両国間を高速道路や鉄道でつなぐ「中国・ミャンマー経済回廊」のプロジェクトも進行しつつある。
一方、「一帯一路」構想をめぐって「新植民地主義」と批判を受ける中国は、プロジェクト自体の持続可能性を意識することが重要課題となっている。環境保護を無視するような強引な開発手法や、地元にメリットが還元されず「債務のわな」に陥るような「ウィン・ルーズ」の関係になれば、ミャンマーの反中感情をより増幅させる要因となろう。
【プロフィル】水谷俊博
みずたに・としひろ 東京外国語大学ビルマ語専攻卒業。2000年ブラザー工業入社、06年日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。ジェトロ・ヤンゴン事務所勤務などを経て、19年9月よりアジア経済研究所研究企画部研究企画課総括課長代理。42歳。岐阜県出身。
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