独メルケル首相の“禅譲”戦略をくじいた極右政党の「クーデター」
【激動ヨーロッパ】
来年の政界引退を表明しているドイツのメルケル首相の有力後継候補とされた、中道右派の与党、キリスト教民主同盟(CDU)のクランプカレンバウアー党首が辞意表明した。地方首長選出をめぐり、極右政党の「クーデター」(独メディア)ともいわれる計略で党内が混乱したことが引き金だ。メルケル氏の“禅譲”戦略がくじかれた経緯は、極右政党に翻弄されるドイツ政治の混迷を映し出した。(宮下日出男)
「タブー破り」で極右と協力
「首相と党首の分離は党を弱体化させる。強いCDUが必要とされるときに、それが起きた」。クランプカレンバウアー氏が2月10日、辞意表明の記者会見で述べた言葉には苦渋の思いにじんだ。
「ミニ・メルケル」と称されたクランプカレンバウアー氏は、メルケル氏が後継として意中に置く人物だった。地方から党要職に抜擢され、2018年末には首相を続けるメルケル氏と権力を分割する形で党首に就任。寛容な難民・移民政策などメルケル氏の中道・リベラル路線の是非をめぐり亀裂が入った党の立て直しを期待されたが、指導力を発揮できず、国民の人気は低迷していた。
21年までの今期限りの政界引退を表明したメルケル氏も円滑な後継への移行で花道を飾ることを描いていたが、筋書きは狂った。メルケル氏は決断を「尊重」する一方、「残念」と述べた。
クランプカレンバウアー氏の決断の契機となったのは、旧東独テューリンゲン州の州首相選出問題だ。旧東独では昨秋、3州で州議会選が行われ、排外主義的な政党「ドイツのための選択肢」(AfD)がいずれも第2党に躍進。そのうちテューリンゲン州では旧共産党の流れを組む「左派党」を中心とした左派系連立3与党の議席が過半数を割り、政権樹立が難航した。
2月5日に州議会で行われた首相選挙では、左派党の現職が過半数の支持を得られず、投票は最多得票者が首相に決まる3回目に持ち込まれた。この際、第5党の中道政党が突然、候補を擁立。ここにCDUや、独自候補を立てていたAfDが相乗りし、中道政党の候補が現職を1票差で上回った。
予想外の展開に政界は大騒ぎとなった。左派党、AfDとは協力しないというCDUの方針が結果的とはいえ覆され、AfDの支援を受けた州首相が初めて誕生。1930年、政権掌握前のナチスが初めて地方で政権に参加したのが同州だったという歴史とも重ねられた。極右との協力には「タブー破り」(メルケル政権幹部)との声が上がり、メルケル氏も「民主主義にとりひどい日」と嘆いた。
州首相選出をめぐり、州レベルの密約があったのかは定かでない。ただ、同州でAfDを率いるヘッケ氏はCDUや中道政党に書簡を送るなどして事前にすり寄ってもおり、首相選出後、「巧みな戦術が成功した」と誇った。
過激グループの影響拡大
今回の騒動でCDUはAfDへの対処をめぐる党内の温度差をさらけだした。極右と一線を画すことを政治文化として育んできた旧西独に比べ、旧東独ではAfDへの抵抗感が薄い。党内をコントロールできなかったクランプカレンバウアー氏は事後対応でも州支部と対立して権威が失墜。身を引く形をとった。
メルケル氏の移民政策などを批判してきたAfDは「われわれの目標はメルケル氏だ。責任をとらさねばならない」(モイテン共同代表)と、メルケル氏の早期退陣に向け意気軒高だ。だが、手放しで喜べない事情もAfDにはある。
AfDはもともと「反ユーロ」政党として旗揚げされ、欧州への難民・移民の大量流入を機に、反移民など排外主義的な主張を強めてきた。その過程では党内抗争を繰り広げながらも、党勢拡大のため、ネオナチなど過激な極右勢力とは同一視されないよう努めてきた経緯がある。
だが、今回“手柄”を立てたヘッケ氏は党内の国粋主義的で過激なグループの中心人物で、過去には「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)記念碑」がベルリン中心部にあることを「恥辱」とし、過去の反省を重視する政策を「180度転換」すべきだと主張。ナチスを想起させるような言葉も用いるなど過激さで知られ、党主流派は対応に苦慮しているのが実情だ。
テューリンゲン以外の旧東独2州の選挙でAfDを率いたのもヘッケ氏の仲間だ。メルケル氏の後継戦略を頓挫させたことで、ヘッケ氏のグループの影響力がさらに高まるとの見方が大勢で、党内では懸念もされている。最近ではヘッケ氏のグループに「党が乗っ取られる」と、離党した国会議員もいる。
CDUは4月に次期首相候補を兼ねる新党首を選ぶ方針で、今のところ「反メルケル」路線の党内保守派候補と親メルケル派候補を軸に党首選は展開される見通し。だが、誰が勝利してもAfDへの対処で一枚岩となれなければ、戦後ドイツの復興・発展をもたらした伝統政党の党勢回復はおぼつかない。