真山仁の穿った眼

日本シリーズで見えた“完成した人材”不信

真山仁

目利き力と指導力の差

 大阪生まれの大阪育ちでありながら、50年以上も巨人ファンの私にとって、今年のプロ野球日本シリーズは、悔しさを感じないほど落胆した。2年連続で4連敗を喫したからではない。全く異次元のレベル差を、思い知らされたためだ。

 今年のパ・リーグは、ギリギリまで優勝争いが混沌としていた。4位までが最後まで可能性を残していた中で、ラストスパートをかけたソフトバンクがリーグ優勝を飾り、クライマックスシリーズ(CS)も2戦連続の逆転勝利で、パ・リーグの代表となった。

 一方のセ・リーグは、リーグ戦中盤から巨人が独走。他を圧倒しての優勝だった。

 日本シリーズの敗因として、巨人のホーム球場の東京ドームが、都市対抗野球大会で利用できなかったことや、CSがなかったために、勢いが削がれた状態で日本シリーズを迎えたなど、さまざまな指摘があった。

 だが、そんな問題ではない。あれは、野球の質の違いであり、巨人が覇者となったセ・リーグが滅亡に瀕(ひん)した帝国だとすれば、ソフトバンクは、先進国を打ち破った覇権国家だと言いたくなるほど、進化に差があった。

 あれが、パ・リーグで僅差で勝ち上がってきた球団なのであれば、ソフトバンクだけが強いのではなく、パ・リーグ全体が、セ・リーグを完全に凌駕(りょうが)していると認めざるを得ない。

 尤(もっと)も、今回の主題は、プロ野球のセパの格差に対する考察ではない。

 両チームの野球の質と選手のプロフィールを眺めていて、「もしかすると、ソフトバンクのチーム運営における思想には、閉塞感がある日本企業の人事制度を見直すヒントがあるのではないか」と思い当たったのだ。

 ソフトバンクは、実績を残した選手が、自らチームを選ぶ制度であるフリーエージェント(FA)に拠る大物選手の獲得などに頼らず、才能のある“金の卵”を見つけ出した上で、徹底的に鍛えて才能を伸ばして結果を出している。

 つまり、若手の育成法に長じているというのが、スポーツ紙などが指摘している専門家の評価だ。

 だが、私が注目したのは、その目利き力と指導力だ。

 ソフトバンクの打者は、フォームからして個性的だ。教科書が教えるようなフォームで構える選手が珍しい。兎(と)に角、フルスイングをする。打順に関係なくその姿勢は、変わらない。フルスイングするから、打球に破壊力があるため、平凡そうに見えるゴロやフライでも、正確な守備をしなければ、エラーを誘う。ましてやホームランなら、大砲から放たれたような勢いでスタンドに吸い込まれていく。

 通常、そういう打者は、長打力はあっても打率が低いため、一年を通じての成績は安定しない。だから、プロ野球の野手のスタイルとしては、推奨されてこなかった。

 ところが、ソフトバンクでは、そういうタイプが主流であり、彼らが結果を出して、巨人を圧倒した。

 一方、投手陣は、エースでなくても、直球の球速が軽く150キロを超える選手ばかりで、さらに各自が磨きを掛けた変化球を持っている。

 尤も、従来から球速があるだけでは、強打者は抑えられないと考えられていた。プロ野球選手なら、160キロの直球でもホームランを放てる技倆(ぎりょう)があるためだ。

 しかし、ソフトバンクの投手の球は、速いだけではない。重いのだ。だから、芯でボールを捉(とら)えても、バットがへし折られてしまうようなことも起きる。

 打者も投手も、とにかく力強く、全身を使って力を振り絞っている。

 それに比べて巨人の選手の多くは、オーソドックスな完成度の高い野球に終始するため、観客から見ると、「力負けしている」ように見えてしまう。

完成度の高い人材ばかりを採用しない

 従来の野球の常識からすれば、巨人のスタイルが王道なのだ。なのになぜ、「ありえなかった」プレーが勝ったのだろうか。

 勝因の一つには、選手層の厚さがある。フルスイングの打者と剛球投手の調子の波を調えるため、個人の修正に頼るのではなく、選手の調子をしっかりとチェックして、調子が落ちれば、調子を上げている控え選手と交代する。その結果、常に「その時に一番調子の良い選手」が試合に出て、活躍する。従来の「控えは、主力選手が怪我をした時のスペア」という発想がない。

 ソフトバンクが、日本のプロ野球球団の中で、最も資金力があるために可能だという面もあろう。

 だが、本当の理由は、別にある気がする。

 それは、選手を獲得するときの方針だ。日本の野球は、“国技”と言われるほどレベルが高い。本場、米国大リーグと対戦しても良い勝負なのは、少年野球から高校野球、大学、社会人と運動能力の高い大勢の若者が切磋琢磨し、ハイレベルの選手が誕生する土壌がある。

 そこで、多くのプロ球団は、完成度の高い即戦力を欲しがちだ。

 だが、ソフトバンクは、このところ、プロ野球の新人選手選択会議(ドラフト会議)で、高校生を優先して獲得している。それは、完成度より、伸びしろを見ているからではないか。

 そして、球が速い(威力がある)とかスイングスピードが速いとか、俊足という、「一芸に秀でた」選手を獲得し、その才能を伸ばしながら、総合的なレベルアップを図っているように見える。

 実際、日本シリーズで大活躍した選手の多くが、支配下外の育成出身者だった。まさに、一芸に秀でた金の卵である育成選手は、大成する可能性は低いと考えられている。だから、当初は1軍の試合にでる権利を与えない育成選手として獲得する。彼らには、ドラフト1位選手が手にする1億円の契約金や1000万円超の年俸なんて出されない。一般企業の初任給より安い選手すらいる。だが、鍛えて、才能が伸びれば、完成度の高い選手を上回る活躍が可能である(そして、年俸も上がる)、という方程式を、ソフトバンクは明確に実現している。

 この「完成度の高い人材ばかりを採用しない」という発想こそが、今の日本の企業や役所に欠けていると、かねがね私は考えていた。

 最近の若い社会人を見ていると「そつのない、大人を騙(だま)すのが上手な」若者が増えた気がするからだ。彼らは、迎合性が高く、承認欲求も強い。だが、ギラギラとした野生的なパワーを感じないのだ。

 私が触れる若い社会人は、皆判で押したように「明るく、そつがない」が、人間力を感じない人が増えた。また、現状肯定派がほとんどで、思い込みが強い独りよがりが多い。

 彼らは、壁にぶつかると簡単に挫折し、それを乗り越えるより、職を変えるという安易な選択をする。

球団も日本も、価値観を変える時

 もう一つ、ずっと以前から抱いていた疑問がある。

 私が小説家を目指してさまざまな懸賞小説に応募していた頃、新人賞に選ばれた作品の多くが「新人とは思えない完成度の高さ」が受賞理由だった。

 新人賞なのだから、荒削りでも、可能性を感じさせる、あるいは異彩を放つ作品を選ぶべきじゃないのか、とずっと思っていた。それは、私が完成度の高さを目指すより、「誰も書かないことを書きたい。従来の小説の常識を破りたい」という思いが強かったからかもしれないが。

 だが、新人の頃に「完成度が高い!」と称賛された作家は、短命で終わっている気がする。第一作は素晴らしかったのに、あとが続かないからだ。

 ソフトバンクは、「完成度が高い人材は、これ以上伸びない」と見切っている気がする。その上で、ギラギラした荒削りの才能を発掘し、伸ばすことにしたのではないか。

 これは、容易な方法ではない。まず、鍛えれば伸びるかどうかを判断する「目利き力」がいる。さらに、入団してからは個性を殺さず、才能を伸ばすパーソナルな指導力も重要だ。ソフトバンクは、それが出来ているから、異次元のレベルの選手がのし上がってくるようになってしまった。

 言い換えれば、この2つを、大抵の組織がおろそかにしてきた結果、新人採用で完成度ばかりが求められるようになったということだ。

 「大化けするかも知れない」あるいは、「今まで我が組織にはいない型破りの人材」という視点で選ばなければ、組織はどんどん停滞し、やがて過去の遺物化してしまう。

 日本一の名門球団・巨人の「負けっぷり」を見ていて、球団も日本も、人材採用と育成について根本的な価値観を変える時が来たと強く思った。

昭和37年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科を卒業後、新聞記者とフリーライターを経て、企業買収の世界を描いた『ハゲタカ』で小説家デビュー。同シリーズのほか、日本を国家破綻から救うために壮大なミッションに取り組む政治家や官僚たちを描いた『オペレーションZ』、東日本大震災後に混乱する日本の政治を描いた『コラプティオ』や、最先端の再生医療につきまとう倫理問題を取り上げた『神域』など骨太の社会派小説を数多く発表している。

【真山仁の穿った眼】はこれまで小説を通じて社会への提言を続けてきた真山仁さんが軽快な筆致でつづるコラムです。毎回さまざまな問題に斬り込み、今を生き抜くヒントを紹介します。アーカイブはこちら