陳舜臣と李登輝、大政治家と大作家の関係 なお険しい日中台関係をどう論じるか
いま神戸華僑歴史博物館で、「陳舜臣没後六年桃源忌特別展(20日まで)」を開催している。拙著『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』で陳舜臣さんのことを詳しく書いたことがある。大事な会議が大阪であり、せっかくの機会なので、神戸まで足を延ばした。同博物館は、三宮駅から神戸中華街を抜け、徒歩数分の場所にある。途中、中華街の閑散ぶりに驚かされた。行列で有名な豚まんの名店「老祥記」も数人が並んでいるだけ。いつもは買う気にならないが、今回は寒空の下で久しぶりにほかほかの豚まんを味わった。
6年前に亡くなった陳舜臣さんの一生を写真と資料で振り返る展示の中で目にとまったのは、昨年逝去した李登輝・台湾元総統と陳舜臣さんの関係だ。
台湾系の華僑として神戸に育った陳舜臣さんは戦後数年だけ英語教師として台湾に渡り、再び日本に舞い戻った。作家デビュー後、長期の戒厳令を敷いた国民党政権の台湾統治を批判的に記したため、祖国・台湾に渡れなくなった。李登輝さんが総統になり、1990年、台湾を40年ぶりに再訪し、李登輝さんと会ったことが展示に記されていた。
陳舜臣さんの本には、李登輝さんがしばしば登場する。『道半ば』では、陳舜臣さんの友人である医師の何既明さんが若き日の李登輝さんと台湾への引き揚げ船で出会ったことに触れている。戒厳令下の台湾で文化の灯を消さないように古書店屋を開くことを計画したが、蒋介石政権に警戒されて、仲間の2人が逮捕銃殺され、李登輝さんも危険な目に遭った。この計画に陳舜臣さんも誘われていたが、日本帰国のために参加せずに難を逃れた。
その何既明さんの斡旋(あっせん)で李登輝さんが動き、陳舜臣さんの帰国は解禁された。その陳舜臣さんの引きで、大阪外大時代からの友人、司馬遼太郎さんは「街道をゆく 台湾紀行」の取材で台湾を訪問し、李登輝さんへの伝説的なインタビューを行った。
大政治家と大文豪たちの人間関係がつながっていく様子が浮かび上がってくる。
「台湾紀行」では、陳舜臣さんが司馬遼太郎さんを相手に「街道をゆく、台湾まだやな」と声をかけたところが語られている。陳舜臣さんの一言から「台湾紀行」が書かれ、「台湾人に生まれた悲哀」という李登輝さんの名言が生まれた。
冷戦の終わった90年前後は時代の大きな節目だった。陳舜臣さん自身の人生も大きく変わった。展示から72年の日中国交樹立以来、驚くほど頻繁に中国を訪れたことが分かる。陳舜臣さんは書物で得た知識を現地訪問で肉付けし、歴史作家として飛躍した。中国の未来に期待も抱いたが、89年の天安門事件に憤慨して中国国籍を放棄し、日本国籍を取得。同時に台湾への里帰りがかない、台湾傾斜を一気に強めていった。
陳舜臣さんは台湾人として生まれ、日本人として育ち、中国人にもなり、最後はまた台湾人に戻って豊かな作家人生を全うした。日本、台湾、中国の間を波乱の時代に駆け抜けた陳舜臣さんの一生は、自身が筆をふるったドラマチックな歴史小説のようなものである。
いま、台湾への中国の軍事的威圧は強まり、日中関係も尖閣諸島をめぐって緊張を続けている。2021年の日中台関係はなお険しい。私たちの歴史は前に進んでいるのか、後退しているのか。日本の文壇に燦然(さんぜん)と輝いた歴史作家なら、どう論じるだろうか。
■野嶋剛(のじま・つよし) ジャーナリスト。大東文化大学特任教授。朝日新聞で中華圏・アジア報道に長年従事し、シンガポール支局長、台北支局長、中文網編集長などを務め、2016年からフリーに。『ふたつの故宮博物院』『銀輪の巨人 GIANT』『台湾とは何か』『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』『香港とは何か』など著書多数。