三島由紀夫が見た五輪
マスコミの一部の報道は、東京オリンピック・パラリンピックを中止する世論をあおることに傾斜しているようだ。ネットの世界でも、連日のようにオリンピック中止や政権批判などを主張する「ハッシュタグデモ(Twitterデモ)」が盛んに行われている。筆者のトレンド欄は、しばしばそのようなタグが目立つ。世論調査(産経新聞・FNN)では、東京オリンピックの開催に悲観的な意見が8割近くで、この傾向はほとんどのメディアの世論調査で共通している。
最近、三島由紀夫の論説を読んだが、その深い洞察と表現力に感銘を受けた。彼は前回の東京オリンピックについて、いくつかエッセーを書いている(『三島由紀夫スポーツ論集』岩波文庫)。その中で、反対論が根強くそれなりに理もあったこと、だが快晴の開会式をみて「これでようやく日本人の胸のうちから、オリンピックという長年鬱積していた観念が、みごとに解放された」と書いている。筆者と同世代の人たち、それよりも下の世代の人たちは、選手の活躍や高度経済成長を象徴する1つのエピソードという「物語」として東京オリンピックを評価してきたことだろう。ところが、三島のエッセーにはそのような「物語」とは違う「開催反対」の世論も触れられていた。
当時の文部省の世論調査でも、開催年(1964年)の前々年までは開催に不安を抱く意見が多数派であった。「オリンピックをやるぐらいなら別なことに予算を使うべきだ」という今日でもよく耳にする意見も多くあった。他方で、政府は世論が盛り上がらないことを問題視し対策に乗り出した。政府と当時のマスコミとがタイアップする形で開催機運を高めた63年からは状況は一変する。根強い反対論はあったが、それでも多数は開催に楽観的な態度に転じた。いわば新聞などのマスコミに国民があおられたといっていいだろう。
今回は逆で、政府とマスコミの方向は異なり、コロナ禍という状況の中で、マスコミの多くは開催に否定的である。あまりに否定的な報道が多く、日本パラリンピック委員会(JPC)の鳥原光憲会長は、選手たちの多くの希望とは異なり「『大会を中止にすべきだ』という声ばかりがニュースになり、残念でならない」というコメントを出しているほどだ。ある意味で“偏向報道”といっていい。
ネットでも同様だ。鳥海不二夫教授(東京大学)の研究「池江璃花子選手への五輪出場辞退要請は誰が行っているのか」によれば、池江選手に誹謗中傷にあたるひどいコメントをしているSNSのアカウントは、政治的に「リベラル」が多いという。ここにも“偏向”が存在する。
だが、ワイドショーや一部のニュース番組は、報道的事実を伝えるよりも、実際には「娯楽」を提供しているだけだともいえる。つまり市場経済の観点からいえば、報道する側(供給)とワイドショーなどを見る側(需要側)の需給が一致しているだけの現象ともいえるのだ。ただし「娯楽」なので、それが事実や問題の指摘を客観的にしているわけではないことに注意が必要だ。米ハーバード大学のマイケル・ジェンセン教授は論文「報道の経済学に向けて」の中で、娯楽としての報道には以下の特徴があるとした。例えば、ニュースは「危機」をあおりがちだという。日本の財政が危機だとか、あるいは年金制度が破綻すると報道すれば、多くの視聴者の関心を引くことができる。
本当に定額給付金はムダだった?
最近では、「現金10万円一律給付 40万人申請せず 約600億円国庫返納へ」(NHK)などというニュースがあった。まるで定額給付金政策が“ムダ”だったかのように誘導されかねない。しかし客観的には、たかだか0.3%ほどの“ムダ”が生じたにすぎない。国民の大多数は、定額給付金を生活支援として活用しただろう。また相変わらず「国民の借金」の多さで、財政再建に誘導するニュースも多い。これらなどはまるで財務省の下請け機関のような役割を果たしている。「娯楽」としてもあまりにも手抜きである。
また、政治的な出来事では政府を「悪魔」に、それを批判する側を「天使」に仕立て、後者が前者を打ち倒す構図が好まれる。これを、ジェンセン教授は「悪魔理論」といっている。また、なるべく報道は単純なものが好まれるので、複雑な事件の背景は省略されやすい。これを「あいまいさへの不寛容」ともいう。
例えば、ワクチン接種の状況と連動させて、オリンピック開催を批判する報道を目にした。アメリカの大学の調査をもとにし、日本のワクチン接種の状況が世界100位ほどだとし、そこから「政府は東京五輪開催を目指しワクチン入手と接種加速を強調するが、欧米からは『一大感染イベント』になりかねないとして中止を求める論調が強まる」(共同通信)とするものだ。これをインターネットで報道した共同通信のページには、マスクなしで歩くニューヨークの女性たちの写真が添えられていた。
だが、事実に即して日米の感染状況を見てみよう。米ジョンズ・ホプキンス大学のサイトでの情報をもとにすると、直近ではニューヨーク州の新規感染者数は1800名、東京都は平日の検査結果を反映した15日だと772名である。人口10万人当たりの新規感染者数は、ニューヨークが9.25人、東京が5.53人である。報道写真のイメージとはかなり異なり、東京の方が単位人口当たりの新規感染者数は少ない。また、世界的にも新規感染者数は日本はかなり低い水準だ。もちろんこれだけで、東京や日本は大丈夫だと言いたいのではない。
早稲田大学の安中進講師の実証分析だと、「COVID-19による死亡者数が少ない要因は、『病床数が多い』『65歳以上人口割合が低い』という社会経済的要因であると結論」づけている。また、緊急事態宣言のような人流抑制政策は効果があっても、その発現はゆっくりしたものであることを示している。
この安中氏の研究をベースにすると、現在、政府が進めている65歳以上のワクチン接種の進展が、東京オリンピック開催だけでなく、日本の新型コロナ感染抑制の重要なキーになることがわかる。全国の高齢者が約3600万人で、1回目の接種を終えた人数は約91万人(首相官邸HP)なので、まだ約2.5%でしかない。先週、平日の1回目の接種数は高齢者が7万回程度だった。これまでは医療従事者に重点がおかれていたが、これからは高齢者のワクチン接種により注力することが必要になる。政府は1日のワクチン接種100万人を目標(現時点では最高で約35万人/日)にしているが、これは掛け値なしに重要な目標だろう。「悪魔理論」の指摘する通りに、ワクチン接種報道でもマスコミは自治体の不手際などに注目するケースが多いが、高齢者のワクチン接種の誘導に力を貸すべきではないか。
待機の費用、英国は自腹
さらに水際対策が心配だ。インドでの変異株の猛威の前に、インド、バングラディシュ、ネパールからの入国を厳格化し、「原則」禁止している。現在の水際対策では、出国時でのPCR検査、入国時での抗原検査、そして指定された宿泊施設での3日間の隔離がほぼセットになっている。だが、この隔離の費用(宿泊費、食費)は政府から出ている。文化放送「おはよう寺ちゃん」で著述家の谷本真由美(めいろま)氏が話していて知ったのだが、イギリスではこれらの費用は自己負担だという。これを日本でも取り入れた方がいい。これらの費用は自己選択的な入国抑止に役立つだろう。
また、3日間の隔離が終わった後には、原則11日間の自主待機がある。これは自宅や、手配した宿泊施設が待機場所となる。この移動には公共交通機関は使えないのがルールだ。だが、実際には自主待機期間中に公共交通機関を利用しないでいるのか、ひょっとしたら「待機」せずに観光やビジネスなどで出歩いているのではないかなど、当人たちの善意に依存した極めてザルな運用だという指摘もある。また、位置情報をスマホを通じて当局に確認させる仕組みだが、最近の報道では1日あたり最大300人ほどが待機場所での確認ができなかったという。まさに善意はあてにならない。ここでも台湾のような厳格な位置情報の提供と罰則が必要だろう。この話も1年以上言われているが、まったく改善しない。
問題がいろいろあるのは事実だ。だが、日本の報道はあまりにも“偏向”しすぎており、しかも一部は上記の「リベラル」勢力のように、政治的な“偏向”とも連動している可能性がある。これからオリンピックや総選挙が近づけば、さらに“偏向”の度合いが増すかもしれない。安易な「娯楽」に傾斜しないように、マスコミの報道、ネットの動きから距離をおき、冷静になる必要があるだろう。
【田中秀臣の超経済学】は経済学者・田中秀臣氏が経済の話題を面白く、分かりやすく伝える連載です。アーカイブはこちら