「ミスター日銀」の金融政策最前線 (3/6ページ)

2016.12.24 05:00

11月22日の参議院財政金融委員会で、黒田総裁(左)の隣に座る雨宮理事(ブルームバーグ)
11月22日の参議院財政金融委員会で、黒田総裁(左)の隣に座る雨宮理事(ブルームバーグ)【拡大】

 正直な思いをありのまま表現したが故に、日銀内で「青春の文書」と呼ばれるペーパーがある。企画第一課長(現在の政策企画課長)だった雨宮氏が44歳の誕生日を間近に控えた1999年9月、徹夜で書いたものだ。日銀は同年2月にゼロ金利政策に踏み切ったものの円高の進行は止まらず、為替介入で供給された円資金を日銀が吸収せず市場に放置する非不胎化を行うのではないか、との思惑が当時強まっていた。

 しかし、日銀は金融政策決定会合で現状維持を選択。同時に公表したのが「当面の金融政策運営に関する考え方」だった。実体的な効果がなくとも市場が何らかの期待を持っていれば、それを利用してはどうかという考え方に対し、「そうした方法の効果はあったとしても一回限りで、永続きしませんし、中央銀行として目的と政策効果についてきちんと説明できない政策をとることはできません」と市場を突き放す文書だった。結果的に円高は継続した。

 ◆量的緩和設計を主導

 同じ速水元総裁の下で、政府の反対を押し切って強行した2000年8月のゼロ金利政策の解除、その後の景気後退入りを受けて01年3月にそれまで否定していた量的緩和政策に踏み切った際も、現場を取り仕切ったのは雨宮氏だった。

 こうした一連の経験が、市場との対話や結果の重要性、一つの考え方に凝り固まることへの自戒の念を強く抱かせることになった。

 06年に企画局長となり、量的緩和政策を解除した後2度の利上げに踏み切った福井元総裁を支え、10年には白川前総裁の下で理事に昇格。同10月の金融政策決定会合では、リーマン・ショック後の急激な円高を阻止するため、株価指数連動型上場投資信託(ETF)の買い入れを柱とする包括的な金融緩和の導入に尽力した。

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