「ミスター日銀」の金融政策最前線 (4/6ページ)

2016.12.24 05:00

11月22日の参議院財政金融委員会で、黒田総裁(左)の隣に座る雨宮理事(ブルームバーグ)
11月22日の参議院財政金融委員会で、黒田総裁(左)の隣に座る雨宮理事(ブルームバーグ)【拡大】

 12年5月に大阪支店長に就任したが、安倍晋三政権の下で総裁に就任した黒田氏に呼び戻され、13年3月に金融政策担当理事に復帰。量的・質的緩和の設計を主導した。14年6月に異例の理事再任。日銀は同年10月に量的・質的緩和を拡大、今年1月マイナス金利導入に踏み切った。関係者によると、雨宮氏はマイナス金利に当初さほど乗り気ではなかったとの見方も日銀内にあるが、最終的には政策を推進した。

 巨額の長期国債の購入に限界説が高まる中、日銀は9月、政策の総括的な検証を行うとともに、操作目標をマネーの量から金利に転換した「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入。一向に近づけない2%物価目標の実現に向けた持久戦へ舵を切った。

 この転換に日銀OBを中心に評価の声が上がる一方で、アベノミクスの支持者からは批判も出た。安倍首相と長年にわたりパイプを持つ中原伸之元審議委員は9月のインタビューで、枠組み変更はマイナス金利政策の失敗を上塗りするもので、日銀内のリフレ派の敗北を意味すると述べた。金融政策はアベノミクスの中核にもかかわらず独断で総括に踏み切ったことを中原氏は疑問視しており、黒田総裁の再任は「かなり難しくなったのではないか」と述べた。

 中原氏は1998年から2002年まで審議委員を務め、量的緩和導入を早くから主張。01年3月に日銀が導入する端緒を開いた。雨宮氏については「方向転換が決まった後で説得して回るのが彼の役割だった。彼は方向転換などしていない」と語った。

 1999年秋の「青春の文書」とともに、雨宮氏の胸に深く刻み込まれているのが、98年4月施行の新日銀法とともに始まった金融政策決定会合の仕組みを企画立案したことだ。

産経デジタルサービス

IGN JAPAN

世界最大級のビデオゲームメディア「IGN」の日本版がついに登場!もっとゲームを楽しめる情報をお届けします。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

「ソナエ 安心のお墓探し」では、厳選されたお墓情報を紹介! 相続、葬儀、介護などのニュースもお届けします。