作家の堺屋太一さん死去 「団塊の世代」名付け親 元経企庁長官

1999年10月、記者会見する堺屋太一経企庁長官。右は小池百合子政務次官=首相官邸
1999年10月、記者会見する堺屋太一経企庁長官。右は小池百合子政務次官=首相官邸【拡大】

 「団塊の世代」の名付け親であり、経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家で経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日午後8時19分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。83歳。大阪市出身。葬儀・告別式は17日午後1時、東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は洋画家の妻、池口史子(いけぐち・ちかこ)さん。

 東大経済学部卒業後、1960年、通商産業省(現経済産業省)に入省。62年版の通商白書で「水平分業論」を展開し注目を集めた。70年開催の大阪万博の企画を担当し、沖縄開発庁(現内閣府)出向中には沖縄海洋博も手掛けた。78年退官。

 在職中の75年に石油危機をテーマにした「油断!」で作家デビュー。第1次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と名付けた76年の同名の小説では、この世代が社会に与える影響をいち早く予測するなど、将来を先取りする著作でベストセラー作家となった。

 98年7月から2000年12月まで小渕内閣と森内閣で、民間人閣僚として経済企画庁長官を務めた。安倍内閣では内閣官房参与に就任した。

 1985年には脱工業化社会を予言した「知価革命」も出版。歴史小説も多く「峠の群像」や「秀吉」はNHKの大河ドラマの原作になった。

 官僚主義の弊害を厳しく批判し、道州制など地方分権推進論者でもある。政府税制調査会や国会等移転調査会委員、阪神・淡路復興委員会委員を歴任した。

 当時の橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」のブレーンとして活躍し、2011年12月から大阪府市併任の特別顧問。民間の外国人雇用協議会の会長も務め、外国人労働者の雇用拡大を提言していた。