論風

令和時代の日本経済 再生に向けた構造改革急務 (1/3ページ)

 平成は経済停滞の時代であった。経済成長率は年率1%前後にとどまり、「ベースアップ」も「右肩上がり」も死語になった。スイスにある国際経営開発研究所(IMD)の国際競争力評価では、日本は1991~93年に1位であったが、2018年には25位に下がった。モノづくりを競う技能オリンピックではかつて日本は常勝国であったが、前回17年の大会では9位に落ちた。(地球産業文化研究所顧問・福川伸次)

 産業力の衰退

 労働生産性では17年に経済協力開発機構(OECD)36カ国中20位、主要7カ国では最下位である。自己資本利益率では米国企業の約4分の1、欧州企業の約4分の1でしかない。株式時価総額も1989年3月には上位10社中8社を日本企業が占めたが、2018年12月には米国や中国のIT企業が上位を占め、日本企業は姿を消した。1980年代に激しい貿易摩擦を招き、米議会で旧ソ連の軍事力と並び脅威とされた日本の産業力がなぜこんなに落ちたのか。

 第1に企業経営者の挑戦意欲が低下した。バブル経済当時「もはや欧米から学ぶものはない」と豪語するほど経営者におごりが広がり、バブル経済崩壊後は企業の維持に腐心し、フロンティアへの挑戦意欲を失った。

 第2に経済政策が停滞した。政府は米国からの批判を恐れ、バブル経済への引き締めへの転換も、その後の景気回復策も遅れた。80年代に進めていた研究開発政策が萎縮し、日本の科学技術予算の2000年を100とすると、米国は181.0(17年)、中国は何と1348.3(17年)に増加したが、日本は114.9(18年)にとどまった。

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