専欄

それぞれの良さと問題点を書道から 日中書道交流を活発に

 数年前に一念発起して書道を学ぼうと思い立ち、どうせやるならと、2カ所の書道教室に通うことにした。先生は一方は中国人、他方は日本人である。ところが教え方がかなり違う。中国人の先生は、伝統重視で技法にこだわる。線の位置がわずか数ミリ違っても、直すようにと指摘される。一方の日本人の先生は、基礎はそれなりに重視しながらも、本人の個性を生かした自由な書き方がよいと言う。大いに戸惑ってしまった。(拓殖大学名誉教授・藤村幸義)

 周知のように、日本の書道は中国からの漢字の伝来とともに始まった。遣唐使が派遣されると、中国の書家との交流も盛んになった。とりわけ奈良時代は、書聖と呼ばれた王羲之(おう・ぎし)一色に染まったとも言われている。ところが遣唐使が取りやめになると、次第に日本の書道は独自色を発揮するようになり、日中間の違いが広がってくる。

 中国では、技法を重視することから「書法」と呼ばれるのが一般的。もっとも最近では書の実用性よりも、修身・悟道(ごどう)とか芸術性にも配慮し、「書道」の言い方も増えているという。

 その中国の悩みは、あまり金もうけとは縁のない書道を軽視する傾向が顕著なことだ。日本では小学校から書道は授業の一環に組み込まれているが、中国ではそうでない地域も多いという。書道展などの活動も、むしろ日本の方が活発である。日本の書道展には驚くほど多くの出品があり、会場は多くの見学者でごった返している。

 慌てた中国では、2011年に教育省が通達を出し、「書法を小中学校の基礎教育に組み入れるように」と指示した。ところが書を教える教員の不足などがあり、通達はなかなか成果が出てこない。18年末には再度の通達を出して浸透を呼びかけた。

 もっとも日本の書道も、問題がないわけではない。書道展に行くと、前衛的な作品が多く、理解するのに苦しむ。書道の原点からどんどん離れていってしまっているとの印象が強い。

 王羲之や顔真卿(がん・しんけい)といった著名な書家の臨書をしていると、それぞれの人物の生き様が透けてみえてくる。清末の書家、趙之謙(ちょう・しけん)は、役人としてうだつがあがらず、地方回りに明け暮れていたが、その鬱憤を書で晴らすかのように、重厚かつ奔放な独自性のある字を書く。

 日中の書道交流が活発とはいえない。日中がそれぞれの良さと問題点を知ることは、今後の互いの発展にもつながる。交流をより活発にしていきたい。

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