海外情勢

ボルカー元FRB議長死去 92歳、金融規制改革に貢献

 1980年代に米連邦準備制度理事会(FRB)議長として米国のインフレを沈静化させ、後のオバマ政権で金融規制改革に貢献したポール・ボルカー氏が8日、92歳で死去した。

 ボルカー氏は半世紀以上にわたり財政・金融政策に携わってきた。財務次官として金本位制に替わる経済政策に貢献し、FRB議長としては狂乱物価との果敢な闘いで金融政策の金字塔を打ち立てた。米国が大恐慌以降で最悪のリセッション(景気後退)からの回復に苦闘する中、2009、10年にはオバマ政権下で新設された経済再生諮問会議議長として巨大銀行を相手取り、「ボルカー・ルール」と呼ばれる過剰リスクを制限する規則制定に尽力。この規制は広く金融界には疎まれ、トランプ現政権はこの抜本的見直しを最優先政策の一つに位置付けた。

 10年1月、オバマ大統領は身長2メートルのボルカー氏とともにホワイトハウスで記者会見に臨んだ。商業銀行の活動に関する「単純で常識ある」改革を法制化することを議会に求め、新規則は「私の後ろに立っているこの背の高い男にちなんで『ボルカー・ルール』と呼ばれる」と述べた。しかしボルカー氏は自身の名前を冠した金融規制の最終版が骨抜きにされることに失望し、11年2月に経済再生諮問会議議長を辞任した。

 ボルカー氏は1927年9月5日に米ニュージャージー州でドイツ系移民の孫として生まれた。51年にはハーバード大学で政治経済・政府専攻で修士号を得た。

 69~74年にかけニクソン政権の金融担当財務次官を務め戦後のブレトン・ウッズ体制を崩し、ドルの金本位制から変動相場制への移行に貢献した。ニューヨーク連銀総裁を経て79年にFRB議長に就任。「課題は明白だった。インフレが手に負えなくなりつつあるということだ」と2006年のインタビューで当時を振り返った。

 1979年10月6日に発表した一連のインフレ退治策は後に「ボルカー議長のサタデー・ナイト・スペシャル」として知られるようになり、同氏の下でフェデラルファンド(FF)金利は80年代初めに20%にも達した。ボルカー氏は87年に退任。同氏の退任とアラン・グリーンスパン氏の議長就任は株と債券、ドルのトリプル安を引き起こした。(ブルームバーグ Vivien Lou Chen、Laurence Arnold)

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