--滋さんは、北朝鮮に対して、経済制裁一辺倒ではなく、対話の糸口を探していく方だった。拓也さん、哲也さんは、滋さんの方向性か。
拓也さん 政治家同士、政権同士が交渉するのは当たり前だが、母からの言葉で間違ったことはしてはいけないというのがある。今も人質外交を行っている北朝鮮が正しいのか、日本が聞き続けることがいいのか、ジャーナリズムが意識することが必要。
哲也さん 圧力と会話にまとめられる。会話だけで済むならとっくに済んでいる。圧力が必要。
--(拉致被害者の有本恵子さんの母)有本(嘉代子)さんがお亡くなりになってから、期間がたっていない。コロナ禍だったがどのようにお見舞いしていたか。日本酒を入れた話があったが、棺に納められたものは。
早紀江さん コロナが蔓延して、病院も学校も閉鎖になって、面会は誰も入っていけなくなったが、毎日バラの花を、ピンクで30個ぐらい庭に咲いた。スケッチして手紙を添えて「咲きました。出かけられないけどお父さんと一緒だよ」と毎日届けたりしました。
さっき哲也が言いましたように、本当に全くあんなに大好きだった日本酒が一滴も飲めないような長い時間がありましたので、さすがに可哀そうだったねということで、小さな日本酒の箱を2つ2人で入れてくれまして、最初に作っていただいた布でできたブルーリボンがいくつかありましたので、それも一緒に顔の近くに置いてあげて、お花も一緒にですね。
そして、めぐみちゃんの写真を入れるのはあれなんで、佐渡で写した写真なんですが、そのちょっと大きめのがあったので、いつもそれを病院で見ていましたので、それを胸のところに、置いてあげて、めぐみちゃんと一緒にね、会えなかったけど抱っこしていってね、必ず取り返すからねって言って。あとはお花をたくさん入れていただいて、いただいた人形とかそういうものを入れて、見送らせていただきました。
--記憶に残っている滋さんのめぐみさんへの言葉は
早紀江さん あまりにも長い年月ですので、とにかく北朝鮮には負けたくないねと。
拓也さん 全国1400回以上の全国行脚、父の手帳を見たとき、週に1回休みを設けないとだめだと言ったことがあるが、それはできない、行くんだと言っていた。自分の命を削ってでも行くと決めていたのだと思いました。
哲也さん 入院中に、早く朝鮮から取り返したいねと言ったら。そうだよねと言った。その思いはいつも持っていたのだと思う。親世代から子が受け継ぐ中で、その思いをかなえられなかったのは残念に思います。
--(早紀江さんはクリスチャンとなったが)滋さんは(長らく)キリスト教に入信されなかった。滋さんの強さはどこからきているのか。
早紀江さん 宗教的には、小さいころから、鳥居があったりしてもくぐらないというような頑固さを持っていた。「自分の力で一生懸命頑張ればどんなことでもできるんだ」という思いを持っていました。
拓也さん 私自身も神がいるなら何でこんなむごいことをするのだろう、こんな神ならいらないと思っていた。皆さんも家族が同じ目にあわされていたら同じことを思うと思う。北朝鮮が人質外交を行っている、皆さん自身にその可能性があると思えば、同じように思うと思います。