論風

学術会議のあり方を考える 原子力問題などで存在感を

 先般、日本学術会議の会員問題で自民党と学術会議の話し合いが持たれた。この問題は学術会議の会員の選び方に関するものだが、考えてみると学術会議のことがマスコミに登場したのは久々のことではないか。一般の人も学術会議のことはあまり知らないかもしれない。実際、私もかつて学術会議の一員だったのだが、そのどの会合もあまり面白くなく、つい欠席しがちになって会員の一期をあまり印象なく過ごしてしまった、という記憶がある。(地球環境産業技術研究機構理事長・茅陽一)

 しかし、学術会議の最初の頃はもっとその活動が外部に知られていたような気がする。学術会議が始まったのは1949年(昭和24年)だから私はまだ中学から高校へかけての頃だったが、たまたま父親の誠司が学術会議の会員であったのでその頃の活動を見ることができた。それというのも、当時大きな問題となったのは原子力研究の扱いだったからである。まだ終戦からさほど時間がたっていない頃で、原子力といえば原爆の被害が思い浮かぶ。

 学術会議で問題となったのはその原子力の利用だが、名は忘れたが会員の広島大学教授は当然のごとくそれに反対した。それに対し、かなりの物理学者が原子力研究とその利用を進めるべきと前向きの姿勢を示した。私は自宅で父の話を聞いたのだが、当時、原子力に専門の近い伏見康治・大阪大学名誉教授は、私はいい悪いより、ただ原子力の研究をしたいのだ、と訴えたという。同氏は後に学術会議会長も務めた有力者だが、父は同氏の研究者としての真摯な姿勢に大変強い印象を受けたと私たち家族に語った。そして、父もその姿勢に賛同し、原子力研究とその平和利用を進める姿勢を一貫して示した。その後で父は学術会議の会長を務めたのだが、日本での原子力の進展にこの論議は大きな影響を与えたと思う。実際、当時若手の有力政治家で原子力推進の立場をとった中曽根康弘氏が渋谷のわが家にやってきて、低い垣根を乗り越え家に入り父と懇談をしていたのを私はよく覚えている。

 名誉のための組織

 そんなことで、私にとって昔の学術会議は強い印象を持つ組織なのだが、私が成人し大学畑で働くようになってから学術会議の活動で目を見張るような話はほとんど聞いていない。

 もとより、学術会議は学者の議会のようなものでその会員に選ばれることは大変名誉なことだ、とはいわれたし、いろいろな委員会が作られて仲間の教授などがそれに参加していることをやや得意げに話すのを聞いたことはあるが、自分たちの関連する分野の研究やそれの発展に学術会議が大きな影響を与えた、といったことの経験はほとんどない。いわば名誉のための組織かな、といった学士院に似た意識で学術会議を眺めていたような気がする。しかし、上記のような昔の例を思い起こすと、学術会議がもっと積極的に社会にいろいろな問題提起をしていくべきではないか、という気がしてくる。

 NHKの報道によると、学術会議は毎年数十件の提言を出している、とのことだが、私はほとんど聞いたことがない。PR資金がない、という言い訳はあるのかもしれないが、それを外部世界に広める具体的努力をもっとすべきではないか。私の視点からも、提言してほしい問題はいろいろある。先にとりあげた原子力問題もその一つだ。

 矛盾訂正の役割

 何も稼働推進の提言をいっているわけではない。現在の日本での原子力の扱いにはいろいろ問題があり、これに学術的な立場から意見を述べることも一つの方向ではないか。たとえば最近私は長く停止している原発の扱いについて、日本では停止してもその停止期間がそのまま寿命に加算されるが欧米では全く加算されない、とその矛盾を指摘する話を聞いた。これなども科学者が政府に対してその矛盾の訂正を勧告するよい例ではなかろうか。いずれにしても今回は学術会議が自己のあり方を考えるよい機会ではないか。

【プロフィル】茅陽一 かや・よういち 東大工卒、同大学院修了。東大電気工学科教授、慶大教授を経て、1998年地球環境産業技術研究機構副理事長、2011年から現職。北海道出身。

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