社説で経済を読む

コロナ第3波 政治と国民甘え合う社会

 産経新聞客員論説委員・五十嵐徹

 年頭の各紙社説は、当然と言えば当然だろうが、新型コロナウイルス問題一色だった。この一年、手探りながら効果的な治療法も編み出されつつある。ワクチンの量産化にもめどがついてきた。欧米に続いて2月下旬にはようやく日本でも接種が始まる。

 だが、第3波の感染拡大は、なおとどまるところを知らない。政府は2度目の緊急事態宣言に踏み切った。

 朝日元日付社説(以下、他紙も元日付)は「文明の問いの波頭に立つ」と題し、「コロナ禍」を「核兵器」「環境問題」と並ぶ「世界規模の問題」と位置付けた。

 コロナ対策で臨時休館となった長崎原爆資料館の入り口にかかげられたメッセージからの引用だが、朝日は「いずれも、現代文明が産み落としたグローバルな巨大リスク」と指摘した。

 「不治の病」か

 朝日社説はこのあと、核廃絶へと議論を展開するのだが、やや牽強(けんきょう)付会の印象を拭えない。新型コロナの感染対策は国際社会が一体で取り組むべき問題であるのは、論をまたないが、やや大仰に過ぎはしないか。これでは気が早い読者は、コロナは「不治の病」かと思ってしまう。

 「コロナ慣れ」「自粛疲れ」が言われる中で、感染対策が緩みがちな社会に警鐘を鳴らすことは理解できるとして、いたずらに恐怖をあおることには反対だ。メディアには「正しく恐れる」ための冷静で正確な情報発信をこころがけてほしい。

 最悪の事態を先走って取り上げるのはメディアの悪い癖だが、責任ある報道とは言い難い。

 コロナが他の2つの「問題」と明らかに異なるのは、感染症はこれまで例外なく、すべてについて人類が封じ込めに成功してきたという事実だ。

 読売社説は「ピンチはチャンスという。新型コロナウイルスの感染拡大という大災厄が、医療体制の脆弱(ぜいじゃく)性や社会の歪など、さまざまな問題点に気づかせてくれたことは幸いだったと思いたい」と述べる。

 さすがにここまで言い切る自信はないが、コロナをめぐる現状は、決してお先真っ暗ではない。展望は確実に開ける。

 日経社説も「ワクチンが効果をあげれば、国際的な人の往来も再開できる可能性がある。1年延期して今年7~9月に予定する東京五輪・パラリンピックの成功もワクチンの普及が鍵になる」と期待する。

 一方で日経は「コロナ禍の拡大で世界各国は程度の差はあれ人為的に経済活動を停止することを余儀なくされた。厳しい罰則付きの外出制限をとった国もあれば、日本のように要請ベースで実施した国もある」と指摘しているが、残念ながら日本でも、事態は「要請ベース」では済まなくなっている。

 北海道新聞社説は「日本は中国や欧州などの強権的な感染防止策からは距離を置き、経済を回しながら感染防止を図る道を選んだ」と振り返り、「局面に応じて医療と経済のどちらに重心を置くか、柔軟な政策判断が迫られる」と指摘する。皮肉が込められてはいるが、事実はその通りだろう。

 政治家がコロナ禍の制圧と同時に「経済を回す」ことにも責任を負うのは当然のことだ。単純な二者択一論ではすまない。

 いうまでもなく政治は結果がすべてである。よかれと信じて進めても、結果が出なければ、その責任はしっかり負うべきだ。現時点で政府の対応は明らかに後手に回っている。菅義偉首相の国民向け発信力の不足も指摘されている。この年末年始を前にした「勝負の3週間」も不発に終わった。

 特措法改正速やかに

 だが、政治がいま為すべきは政治責任の追及ごっこではあるまい。優先すべきは緊急事態にあって政府の背中を押し、必要に応じて罰則を伴う強制力も発揮できる特別措置法の改正を速やかに成立させることだ。

 一部野党は、緊急事態宣言の発出をめぐる国会での事前報告でも、担当大臣ではなく首相の出席にこだわった。政局絡みの駆け引きがあるのだろうが、これでは何かにつけ、店頭で「責任者を出せ」とごねるクレーマー客と変わりがない。国民のためにと言いながら、実は党派的利害を優先しているとしか思えない。

 国民の従順な気質に政治が甘えている。実は従順ではなく諦めなのだということに、いつになれば気付くのだろうか。

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