「わたし」という言葉を全部取って、「われわれ」に入れ替えよう
アメリカ大統領のスピーチライターは、その地位が高い。時には大統領とサシでスピーチを練る。
彼らが言葉を大切にするのは、それが指導者の意思を伝える機会だからではなく、指導者自身がどう感じているのか、言い換えれば指導者の“心”を伝えるためだからである。
ただ中身を伝えるだけなら、官僚がつくった文章は完璧に近い。それは官僚がそういう役割だからである。他方、指導者は物事の中身を伝えるだけではなく、真意を伝えねばならない。もっとわかりやすく言えば、国民に協力してもらうために、国民の心に訴えるのである。
ジョン・F・ケネディはこの点、きわめてすぐれた政治家であった。彼はのちに有名になる大統領就任演説の草稿を練っていたとき、スタッフにこう言った。
「“わたし”という言葉を全部取って、“われわれ”に入れ替えよう」
ケネディの言う“われわれ”は、日本の政治家がよく使う“われわれ”とは意味が違う。ケネディの“われわれ”は、政権にいる者のことではない。国民全員を指している。
わたしどもがやります、ではなく、一緒にやりましょう、と国民に呼びかけたのである。
これはひじょうに象徴的であった。ケネディは「お勉強ができるタイプ」ではなかった。学生時代の成績はだいたい中の上。しかし、ケネディ政権はきわめて頭脳明晰・優秀な人材の集まりで、ケネディは自分の脳(ブレーン)の足りない部分を、外部の脳、つまりブレーンで補ったのである。
彼は、人々を集め、人々を鼓舞する能力に秀でていたのである。
言葉が届くかどうかは「人望」次第
ここで、想像していただきたい。もしケネディと同じ言葉を別の政治家がしゃべったとして、はたしてそれが国民の心に届いたであろうか。
私たちは日常生活で、同じ言葉で頼まれても、すすんで行動する場合とそうでない場合がある。言葉を発する相手によって、たとえ正しいことを言われても受け入れられないときがある。
ここに、「人望」が大きく影響している。
人望があるといわれる人物の言葉は、素直に受け取ることができる。心に響かないのは、相手に人望がない、あるいは、人望がないような振る舞いをしている場合である。
そこで「人望力」をキーワードに、言葉が心に響くための【3つの必要】を述べていきたい。
言葉が心に響くための第一の必要:「言行一致」
第一は、言行一致である。
菅首相の会食問題はまさにこれだが、同じ首相でもこんな人物がいた。池田勇人。
首相在任中のこと。全国遊説の帰途に気分転換で、「東京に帰ったら、待合に行きたいのだがなぁ」と秘書に漏らした。待合というのは、貸席のいわば料亭のようなところ。
「いいじゃないですか」
「そうか、じゃ、行くか」
10分ほど車を走らせたところで池田は、「やっぱり、よそう」と言い出した。池田は内閣発足時、「一般の国民が行かないゴルフや待合には行かない」と記者会見で発言していた。それを思い出したのである。けっきょく池田は首相在任中、一度もゴルフや待合に行かなかった。
あるいは。
福田赳夫は「資源有限」「もったいない」という言葉をよく使って、物質万能主義を批判した。彼は私生活でも、朝食で生卵の殻の中にご飯粒をいれてすくって食べたり、「『二』のつくものは持たない」と言って、別荘も妻以外の女性と交際することもなかった。