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森喜朗会長、組織委合同懇談会冒頭での辞意表明発言詳細

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が12日、評議員会と理事会の合同懇談会冒頭で辞意を表明した。主な発言は次の通り。

 今回、私の不適切な発言が原因で、大変混乱をいたしてしまった。理事や評議員、多くの皆さまに大変迷惑をお掛けしたことを誠に申し訳なく思う。今日をもちまして会長を辞任しようと思っている。大事なことは五輪をきちんと7月に開催すること。開催の準備に私がいることが妨げになることはあってはならない。

 思い起こすと8年前。2014年1月、東京都庁の一部を借りて、組織委員会は44人でスタートした。今日、おおむね3400から3500人の職員がいてそれぞれの部署で懸命な準備作業をしている。その皆さまのことを考えても、感慨無量です。(これまでに)会場の見直しをやった。当時の計画を思い切って削減することになり、そのために東京都の隣県の神奈川県、埼玉県、千葉県、一部は山梨県、静岡県にまでご協力いただくことになった。開会式前にサッカーも野球も予選を行うということで、東北を中心とした各県でサッカーを、野球、ソフトボールは福島県にお願いすることで、各県の皆さまにも大変な努力をいただいている。

 15年には財政負担の国と東京都との合意、16年にはリオデジャネイロ大会があった。素晴らしいアスリートの活躍があり、安倍晋三前首相の安倍マリオという国際的に話題を生むセレモニーがあった。17年には携帯電話のリサイクルでメダルをつくろうという運動を提唱した。さらにはトーチを東北の震災に使われた仮設住宅の金属部分をはがしてつくった。持続可能性の社会というものを目指して、組織委もその中で一緒になって頑張ろうということになったのも皆さんのおかげだ。

 さらに18年には(国際オリンピック委員会=IOCの)バッハ会長がおいでになり、復興五輪ということを確認した。19年には暑さ対策の流れで札幌にマラソンを移すというIOCの提案があり、都、国、北海道、札幌市の協力で順調に準備できている。

 20年にはアテネで採火式が行われた。ちょうどコロナのことで欧州連合(EU)から厳しい措置が出された。私どもは、その火をいただきに行く予定だったが、いろいろな制限があった。採火式に行った8人の職員が向こうに残って、聖火を大事にホテルで確保していた。これが、とても良かった。もしトーチが、この聖火が日本にないと今日、果たしてどうなっているか。来るのか来ないのかも危ぶまれたかもしれない。

 幸い日本に入ってきて、JOC(日本オリンピック委員会)のオリンピックミュージアムで大事に展示してきた。聖火リレーがあまり来ないところに陳列したらどうかという、当時の高市早苗総務相の提案があり、計画をつくった。どこへ行っても、3、4千人が集まる。特に子どもたちを中心に大変な関心があったということで、五輪への前哨として大変意義ある行事であった。

 21年に入り、コロナ対策ということで、第1弾を政府で取りまとめていただいた。(大会まで)もう半年になる中で、私どもはあくまでも五輪・パラリンピックを開催するという強い方針で準備を進めていた矢先、会長である私が余計なことを申し上げ、これは解釈の仕方だと思う。そう言うと、また悪口を書かれるが、私はそういう意図で言ったわけではない。多少意図的な報道があったと思うが、女性蔑視なんていうことを言われた。

 私はこの組織委に入ってから、女性の皆さんをたたえてきたし、男性以上に女性に発言していただくように勧めてきた。皆さんはなかなか手を挙げてお話にならないが、あえて名前まで申し上げて、お誘いして、本当によく話をしていただいた。五輪・パラリンピックを一緒にやるぞとなった以上、ロンドン五輪とリオデジャネイロ五輪の入賞者パレードも私はオリパラが一体であるべきだと主張した。従来と違ったことなので抵抗もあったが、成功した。

 それから(大会で実施する)各種目、IOCから示された指針で女性と男性の比率をできるだけ同じくしようと、競技団体にもお願いし、ほぼ完璧な仕上がりができたと思っている。私自身は女性を蔑視するとか、そういう気持ちは毛頭ないし、これまでも五輪・パラリンピック、障害のある人、ない人、みんな同じだよということで、全て同じように扱ってきた。

 そういう意味で、この一言でこうなったということは、私自身の不注意もあったのかもしれないが、長い83年の歴史の中で本当に情けないことを言ったもんだなと思う。皆様に大変な迷惑をお掛けした。

 昨日、バッハ会長らと1時間ちょっと電話会談した。バッハさんからも、ねぎらいの言葉もいただいたし、よくここまでしっかりやってくれた。これはまさに東京2020の大きな成果だと称賛もいただいた。

 ぜひ、この後、遅滞のないように運用をしないといけないと思う。私がいる限り迷惑を掛けるということになったんでは、今までやってきた努力は全く無になってしまう。誰かが老害と言ったが、年寄りは下がれというのは、どうもいい言葉じゃない。老人もやっぱりちゃんと日本の国のために、世界のために頑張ってきた。老人が悪いかのような表現をされることも極めて不愉快なこと。しかし、そんな愚痴を言ってもしょうがないので、この際、組織委員会、約8年になりますが、小学校はちょうど1年間留年(延期)になったので、小学校が終わったような感じで。後半の中学校の仕上げを新しい会長にリーダーシップを取ってやってもらった方がいいだろうと思う。本日をもって、会長を辞することを改めて正式に皆さまに表明し、了承を賜りたい。

 後継者の選定をどうするという話も、事務総長から取り計らいがあると思う。率直な意見をいただいて、意味のある、私としても、会長として最後の会として心に残るように運営をお願いできればと思っている。

 本当に皆さんありがとうございました。多くの皆さんの協力があって、ここまで来た。その皆さま方にも心からおわびとお礼を申し上げて、私の命ある限り、日本のスポーツ振興のために、さらに研さんをしていきたいと考えている。お詫びを兼ねて、お願い申し上げた次第です。

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