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「日本より深刻な超高齢社会へ」中国経済に迫る“一人っ子政策”の深刻なツケ (2/3ページ)

 ■「たとえ血流が川となっても、一人っ子政策違反は認めない!」

 晩婚の推奨や子どもは2人までにとどめようといった啓蒙活動が中心だった中国の人口抑制策が、急激に転換するのは1979年のこととなる。

 1975年にオランダを訪問したミサイル研究者の宋健(ソン・ジエン)はマルサス主義に触れ、人口抑制策の信奉者となる。啓蒙活動や避妊具の配布にとどまらず、強力な出産政策を実施して、人口を減少させることが中国の発展につながると説いた。

 当時の中国において、「両弾一星」(原爆、弾道ミサイル、人工衛星)にかかわる研究者はエリート中のエリートであり、専門分野のみならずさまざまな政策において強い影響力を持っていた。宋の考えは次第に中国共産党上層部に浸透していく。

 こうして、きわめて強圧的な一人っ子政策が誕生することになる。一人っ子政策を順守すると宣言した場合には保育費の支給や託児所や学校への優先入所、医療費支給など多くの優遇策が与えられた。

 一方、2人目を出産した女性に対する不妊手術の実施や、違反者に対する罰金(社会養育費)、賃金カットや昇進昇給の停止、さらに公務員の場合には罷免されるなど多くの罰則が動員された。

 「たとえ血流が川となっても、一人っ子政策違反は認めない!」

 「殴れ! 流産させろ! 生ませるな!」

 「不妊手術をやれ、逃げたら捕まえろ、吊して薬を飲ませるのだ」

 「1人目は生ませる。2人目は不妊手術だ。3人目4人目は殺せ」

 かつて中国の農村にはこうした過激な一人っ子政策関連のスローガンがでかでかと掲げられていたが、たんなる脅し文句ではなかった。政策実施を担う地方政府は時に暴力的な手段を使うことをいとわず、着実に出産抑制政策を実施していった。

 その原動力となったのが「一票否決制」の導入だ。

 地方官僚の政治業績を判断する際、経済成長など他の分野で高得点をあげていたとしても、計画生育の実施で規定を満たせなかった場合には失格とみなされるというものだ。計画生育がきわめて優先度の高い政策とされていたことの表れだが、不妊手術の規定実施数を満たすために、若い女性を拉致してまで手術したという話もあった。

 この恐怖の政策は当初、国際社会からは人口抑制策を果断に実施する優等生として歓迎されていた。一人っ子政策の制度立ち上げを担った銭信忠(チエン・シンジョン)は1983年、国連人口賞を受賞している。

 ■「一人っ子政策」の前から出生率は大きく低下していた

 国家の一大事業として始まった一人っ子政策だが、その効果はどれほどのものだったのだろうか。中国政府は2013年に「一人っ子政策により4億人以上もの出産抑制を実現し、人口の過剰な増加による資源と環境に与える圧力を大きく軽減した」との公式見解を表明している。

 しかしながら、データを見ると異なる実像が浮かび上がる。出生率のピークは1960年代半ばであり、強圧的な一人っ子政策が始まる1979年までに出生率はすでに大きく低下していた。

 経済成長や医療の充実、教育の高度化などの条件が重なれば少子化社会へと移行するのは世界共通のトレンドだ。たとえ一人っ子政策が導入されなかったとしても、中国が少子化へと向かったことは間違いない。

 むしろ将来確実に起きる、急激な人口減が問題だったはずだ。国の人口維持に必要な出生率は2.1とされるが、中国は1990年代初頭に割り込んでいる。世界的にも人口増から少子高齢化へと懸念する対象は代わった。

 本来ならば、中国も柔軟に政策を変化させるべきだったが、前述のとおり2013年の一部緩和まで規制は維持された。

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