日本びいきのアイリッシュ 大戦「シンガポール陥落」…首都では日本領事囲み祝賀会

2017.2.6 07:24

 日本と3月に外交関係樹立60周年を迎えるアイルランドが第二次大戦中、英連邦下の独立国として中立を守り通し、ひそかに日本を支援していたことはあまり知られていない。日本が1942年2月に開戦70日でマレー半島を攻略、大英帝国の栄華に終止符を打つことになった「シンガポール陥落」の日、首都ダブリンでは駐在の日本領事を囲み盛大な祝賀会が開かれたという。ダブリンに住んで半世紀余りの潮田淑子さん(85)に「日本びいきのアイリッシュ」の思い出などを聞いた。(ダブリン 岡部伸)

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 仇敵を破って喝采

 「マリンズ氏は、自分たちが倒せなかった敵をやっつけて降伏させた日本を味方と思い、喝采をあげて喜んだそうです」

 ダブリンの日本大使館で64年に催された天皇誕生日のレセプションに、ダブリン大名誉教授で夫の哲さんと出席した潮田さんは、同席したアイルランド元上院議長、トム・マリンズ氏から聞いた話を目を細めて振り返った。

 マリンズ氏はアイルランドの独立戦争から内戦に至る20年代、「アイルランド共和軍」(IRA)を率いた元リーダー。アイルランド弾圧を指揮し「最も凶暴な反アイルランド主義者」と忌み嫌われ、懸賞金まで懸けられた英陸軍指導者アーサー・パーシバル・エセックス連隊第1大隊中隊長(当時)の暗殺を何度も試みたことでも知られる。

 そのパーシバル氏は約20年後の42年2月、連合軍の司令官として「難攻不落」といわれたシンガポール要塞に立て籠もり、捕虜13万人を出して日本軍に「大英帝国史上最悪の敗北」を喫した人物でもある。「イエスかノーか」と迫る「マレーの虎」山下奉文中将に降伏する写真は世界中の注目を浴びた。

 アイルランドを徹底して弾圧し、苦しめた英国の降伏-。潮田さんは「マリンズ氏はダブリン中の米を買い集め、ダブリン駐在の別府節弥領事と市橋和雄副領事を囲み、日本食で盛大にお祝いをしたそうです」と語った。アイルランド人は一貫して、英国の敵を応援したため、「『敵の敵は味方』で日本びいきだったのです」とも語った。

 「大戦下の籠城者」

 一方、別府氏はこれに先立つ39年、35歳で英国のリバプール領事になっていた。翌40年には、イースター蜂起が導火線となって連合王国から分離したアイルランド自由国(37年からはエール)の首都ダブリンに民家を借り、領事館を設立した。大戦中、苦境に直面した別府氏について、司馬遼太郎氏は「街道をゆく 愛蘭土(アイルランド)紀行II」で「大戦下の籠城者」と表現した。

 戦時下で日本からの送金も途絶えがち。潮田さんは「アイルランド政府はスイスの大使公邸に極秘の屋根裏部屋を設け、日本から別府氏への送金を仲介してくれました。76年に同公邸を訪問しその部屋を拝見しました」と、当時を感慨深げに振り返った。

 戦後、ダブリンの領事館にあった資産や文書は連合国によって没収された。終戦から3年後に帰国した別府氏は外務省に「英国に占領され、ひどい目にあったから、アイルランド政府は同情的で非常に親切にしてくれた」と話したという。

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