自民・安倍晋三総裁演説詳報 「国民の平和な暮らしを守り抜けるのは自民党と公明党」

2017.10.16 06:13

 衆院選は15日、期間中唯一の日曜日を迎え、与野党党首が各地の繁華街などで支持を訴えた。自民党総裁の安倍晋三首相はこの日、札幌市内3カ所目となる東区役所前で街頭演説を行い、「少子化を乗り越え、子供たちの未来を切り拓くため、子供たちに、子育て世代に思い切って投資をする」と訴えた。詳報は次の通り。

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 皆さん、こんにちは。安倍晋三です。寒い中、街頭に足を運んでいただき、ありがとうございます。この選挙厳しい戦いであります。昨日(J1リーグで)コンサドーレ札幌が勝ちましたね。3対0。でも、この選挙はそういうわけにはいきません。厳しい厳しい戦いです。皆さんのお力を結集していただきますよう、お願い申し上げます。

 皆さん、この選挙は、北朝鮮の脅威に対して、いかにして国民の命と幸せな暮らしを守り抜くのか、それを問う選挙です。そして、少子化をいかにして乗り越え、子供たちの未来を切り拓いていくか、それを問う選挙です。

 先般、新潟で街頭演説をしていた際、聴衆の方から「この地域は(拉致被害者の)横田めぐみさんが学校に通っていた地域なんですよ。何とか日本に返してあげてください」。こう言われました。お母さんの早紀江さんもお父さんの滋さんもだんだん年を召され、お元気なうちに娘さんを抱きしめさせてあげたい。決意を新たにしました。

 アメリカのトランプ大統領と会談を行った際に、この問題についても、よく話をしました。そのあと、国連で、世界が最も注目するアメリカの大統領演説で、アメリカの大統領として初めてこの問題について触れ、めぐみさんについても触れてくれました。私はうれしかった。

 そのあと首脳会談を行い、お礼を言い、「11月に訪日をする際は、めぐみさんのご両親、そして被害者のご家族と会ってもらえないか」。そうお願いをしました。トランプ大統領は「シンゾー、分かった。ひどい話だ。会うよ。この問題を解決をするために私も協力するよ」。こう約束をしてくれました。拉致問題はもちろん、核問題、サイル問題を解決していくためにも国際社会で連携をしていかなければなりません。

 中国の習近平国家主席にも、ロシアのプーチン大統領にも、ドイツのメルケル首相にも、この問題について話をした。それぞれ「安倍さん、日本の立場はよく分かった。協力するよ」。こういってくれました。そうした外交努力も実り、国連の安保理決議で北朝鮮に厳しい制裁を科す決議が可決されました。北朝鮮に対し、政策を変えさせるために、しっかりと国際社会は連携しなければなりません。

 「安倍さん。圧力ばっかりかけて大丈夫? 戦争になりませんか? 先に話したほうがいいんじゃないんですか?」という方がいます。気持ちはよく分かります。でも皆さん、日本や世界はこの20年間、北朝鮮とも話し合ってきたんです。1995年の核合意がありました。北朝鮮は核を廃棄する、こう約束をしました。日本は電力供給設備を作るために、1000億円を無利子で貸すという約束をし、400億円はもう実行しました。

 しかし、残念ながら、北朝鮮はそのあと約束を破り、日本に対して、このお金は一銭も返してこない。でも私たちはそれを飲み込んで、飲み込んで、対話を続けた。そして2005年に(北朝鮮の核問題に関する)6カ国協議で、北朝鮮は核を廃棄すると約束した。国際社会はまた支援をしたんです。でも残念ながら、この翌年に北朝鮮は核実験を行った。もう私たちに、だまされている余裕はないんです。

 本来、北朝鮮には勤勉な国民がいて、そして豊富な資源がある。正しい道を歩んでいけば、国民をもっと豊かにしていくことができる。でも北朝鮮が核問題、ミサイル問題、そして拉致問題を解決せずに明るい未来はないんです。北朝鮮が意図的に緊張を高めている今こそ、私たちはブレてはならない。北朝鮮の脅かしに屈してはならないんです。今こそ国際社会と緊密に連携をして、私たちはこの問題を解決をしていかなければなりません。

 また、北方領土問題。プーチン大統領とも対話を重ね、一歩も動かなかったこの問題についてやっと少しずつ動き始めています。先般、元島民の皆さんが飛行機で墓参をすることができた。行けなかった場所にも行くことができた。こうしたことを一つ一つ積み重ねながら、両国民の信頼関係を高める中で、この問題を解決をしていきたと決意しています。

 皆さん、2012年、自民党、公明党が政権を奪還しました。あの時のことを思い出していただきたい。あの時の状況は、厚い雲が日本を覆っていました。

 行き過ぎた円高によって工場や会社はどんどん海外へ出ていった。中小企業や下請け企業は一緒についていけないから工場や店を閉めるしかなかった。若い皆さんが頑張っても就職できなかった。日本のGDP(国内総生産)は1997年の536兆円がピークだった。だんだん減ってきて、民主党政権時代には500兆円を切って493兆円になってしまった。

 その時に民主党は何と言っていたか。「日本の人口は減少するから、もう成長なんかできない」と言っていた。でも日本人はやればできる。人口が減少したって成長していくことができる。「正しい政策を進めていくべきだ」と考えて、挑戦をしました。その結果、493兆円まで落ちたGDPは543兆円、過去最高となった。50兆円も増えたんです。やればできるんです。政策さえ正しければ。

 そして、皆さんにとって大切な年金も株式市場で運用していますから、株価が上がった結果、年金資産が46兆円増えた。皆さんの年金は確かなものとなりました。

 そして、観光です。800万人だった海外からの観光客が2400万人になった。この北海道も3倍に増えた。千歳空港の外国からの便数を4割増やした。そのことによって、例えば今年の札幌雪まつり。264万人、過去最高になっています。この人たちは結構お金を使うんです。日本人は平均で、旅行で5万円です。だけど外国人は15万円使う。この人たちは4兆円以上お金を使っています。政権交代前は1兆円でした。3兆円増えた。もっと増やしていきたい。

 そして農業。農業は大切です。私の地元も日本海に面した長門市という小さな農村地帯。私が初めて選挙に出たとき、あぜ道のおじいちゃんの手を握って「晋三さん、信じちょるけえ、日本の農村をまもっておくれよ」。私はこの言葉に送り出されて、国会に出ました。

 でも、残念ながら農家の平均年齢は66歳を超えました。守るだけでは守れない。そこで私たちは攻めの農業を展開しました。若い皆さんが「この分野に人生を賭けよう」と思ってもらえる農業にかえていくために、全力を尽くしてきました。その結果、直近の3年連続、40歳以下の就農者が2万人を超えました。統計を取りはじめて、初めてです。やっと若い皆さんが「農業で頑張っていこう」と思いはじめています。

 そして、農家の手取りを増やしていくことは大切です。農薬や肥料の値段を下げる努力をした。売値を高める努力もしたし、輸出も頑張った。その結果、輸出は4年連続、過去最高になりました。

 北海道もそうです。例えば北海道のお米、タマネギそして牛乳は海外で人気です。特に牛乳はシンガポールや香港で引っ張りだこ。安心できるし、おいしい。もっとも私たちは努力をして、それを伸ばしていきたいと決意しています。

 そうした努力によって生産農業所得は3兆3000億円になった。農業人口は減ったけど、11年間で最も高い額になった。われわれはさらに努力を重ねていきたい。農業を支え、地域を支えてきた努力が実る、こういう農業に変えてまいります。

 中小企業もとっても大切です。やっぱり地方の主役は中小企業です。中小企業を応援するため、設備を変えたり、お店を変えたりして生産性を高め、従業員の収入を増やそうと頑張っている中小企業を応援しています。固定資産税を半分にする。3年間、この半額を続けています。

 そして、もう1点。大企業の経営者には求められなくて、中小企業、小規模事業者に求められるものは何か。それは個人保証です。中小企業の人たちがお金を借りようと思ったら、家や土地や家財を担保にしなければならない。1回失敗したら終わりになっちゃう。本人や家族も人生を失うかもしれない。

 それはおかしい。私たちはこの仕組みを変えました。一定の条件を満たせば小規模事業者でも、個人保証抜きでお金を借りられるようにしました。こうした努力もあって、あるいは経済も良くなって、政権交代前よりも中小企業の倒産は3割も減ったんです。

 その次の挑戦は、少子化への挑戦。少子化を乗り越えて子供たちの未来を切り拓いていくために、子供たちに、子育て世代に思い切って投資をしていく。そう決断をしました。

 段階的に進めてきた幼児教育の無償化を一気に進めます。3歳から5歳、幼稚園、保育園、費用を無償化し、所得の低いご家庭は0歳から2歳、保育費を無償化していきます。どんなに貧しい家庭に育っても、専修学校や大学に進学できる日本を作っていこうではありませんか。そのために私たちは給付型の奨学金、学費だけではなくて生活費も支援していく。

 勉強に専念できる環境を作るために、新たな奨学金制度をスタート、拡充します。財源については、消費税の使い道を思い切って変えます。5分の4を借金返しに使っていた、それを約半々にして、私たちは子育てに頑張る世代、家族の介護に頑張る皆さんを支援をしていく。もちろん医療、介護、年金しっかりと充実していきながら、社会保障制度を全世代型の社会保障制度に変えて、少子化を乗り越えてまいります。

 この選挙、テレビをつけると、当選したいがために党の名前を変える、あるいは人気のありそうな政党に潜り込む、選挙が終わったらまた戻ろうという話もある。びっくりしますね。

 私たちはひた向きに政策を訴えてこの選挙を戦って行きたい。2009年に私たちは政権を失った。あのとき自由民主党という名前を変えようなんて全く思わなかった。悪いのは政党の名前じゃない。私たち自身に責任があったんです。皆さんから率直なご意見を受けて反省し、ひたすらに政策を磨き、政策を鍛え上げてきたんです。

 2012年の政権奪還の選挙。私たちは政権交代の選挙とかスローガンではなくて、「3本の矢」の政策でデフレから脱却して経済を成長させる、仕事を作って国民の皆さんを豊かにする。こう約束しました。ひとつひとつ実行してきた。185万人の雇用を作りました。正規雇用になりたい、正社員になりたいという1人に対して1人分の正規の職がある、正規雇用の有効求人倍率1倍という状況を私たちは作り出すことができたんです。政権交代前はどうだったか。0・5だったんです。2人に対して1人分の正規の雇用がない状況から1人に対して1人という状況を作り出すことができた。

 そして、この4月。うれしかったのは高校や大学を卒業して就職した皆さんの就職率が過去最高水準になったことです。この前お年寄りの方が「安倍さん、最初の孫が就職するとき、民主党政権時代で、なかなか就職できず、不安な孫の顔を見るのがつらかった。でも次の孫はおかげさまで行きたいところに行けた」。こういってくれました。

 皆さん、若い人たちが自らの手で未来をつかみとることができる社会、働きたい人が働くことができる社会、これこそが希望のある、未来のある社会ではないでしょうか。一緒に作っていこうではありませんか。

 この選挙は厳しい厳しい戦いです。この選挙本当に厳しいんです。野田聖子総務大臣と私が一緒にまいりました。一緒に来るのは初めてです。それぐらい厳しい。どうか皆さんの力を与えていただきたい。この選挙は誰が信頼できるか、そういう選挙です。人気のないときも自民党で頑張った。そういう人こそ信用できる政治家じゃないでしょうか。

 日本を守り抜き、国民の命、平和な暮らしを守り抜くことができるのは、そして日本の子供たちの未来を切り拓いていくことができるのは、私たち自由民主党そして公明党です。よろしくお願いします。ありがとうございました。

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