松下康雄元日銀総裁死去、バブル後金融体制の礎築く
更新不安沈静化に奔走
94年に満を持して日銀総裁となり、景気浮揚を狙って超低金利政策に踏み出したが「年金生活者ら庶民の金利収入が減る」との批判にさらされた。
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景気低迷下で財政再建を優先し、消費税増税に踏み切った政府や大蔵省の責任も含め、金融行政失敗の汚名を一身に背負った。経営破綻した山一証券への特別融資(日銀特融)を決めるなど金融不安の沈静化にも奔走した。
97年6月、「長年の悲願」だった新日銀法が可決・成立し、政府側からの独立性を高める道筋を付けた。「10年に1人の能吏」と呼ばれ、政治との間合いを熟知していたからこそ実現できた。
98年3月の総裁辞任時の記者会見では「平和な生活を送りたい」と述べ、金融危機や不祥事の重圧から解放され安堵したような表情を見せた。その言葉どおり晩年は妻とテニスや海外旅行をして過ごしたという。
