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【動きだしたら止まらない~クロスフォーの挑戦~】(5-2)

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【動きだしたら止まらない~クロスフォーの挑戦~】(5-2)

更新

 ◆メーカーへの転身

 土橋氏が創業した80年代は、外国為替が1ドル240円から同120円程度にまで急速に円高が進んでいく局面にあった。この急速な円高は日本の輸出産業を直撃。日本経済を牽引してきた企業の業績悪化が深刻化していく。いわゆる“円高不況”だ。

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 その対抗措置として、当時興隆していた時計やカメラといった精密機械や電子部品などの産業は、国際競争力の回復を目指して相次いで海外生産を推進していくことになる。逆に、円高は海外からの物品の調達に加え、海外旅行などもより身近なものに変えていった。

 現に80年には日本人の海外渡航者数は400万人を突破。80年代後半になると、毎年100万人以上のペースで増加していくことになる。

 そのころだった。

 東南アジアの山奥まで自ら分け入り直接原石を買い付けるという土橋氏独自の展開は功を奏した。80年代後半からは内需も急回復。バブル経済が頂点に達した90年には30億円を超える売り上げを実現した。法人化してわずか3年。事業は順調に拡大したかにみえた。

 しかし、株式や土地に対して過剰に還流した資金は、やがて限界点に達する。その直後にバブル経済は崩壊。90年代半ばには、ジュエリー市場もかつてない未曽有の低迷にさいなまれることになった。

 90~91年のバブル絶頂期には3兆円規模といわれた日本のジュエリー市場は、バブル崩壊以降は縮小を続けている。2008年のリーマン・ショックで1兆円を、東日本大震災で9000億円を割り込んだ。市場の縮小は、その後顕在化した少子高齢化、人口減少などもあり、いまだに収束していない。

 この影響は大きかった。

このニュースのフォト

  • クロスフォーカットを発明したころの様子=1999年
  • 「シバド」から「クロスフォー」に社名変更し、メーカーに転身したころの中国工場の様子=2002年
  • クロスフォーカットで特許取得=2001年
  • 世界的な宝飾関連見本市「香港インターナショナルジュエリーショー」で行われた「DancingStoneAward(ダンシングストーンアワード)」の様子=2016年
  • 山梨県甲府市国母の新本社が完成=2017年
  • 東証ジャスダック市場に株式を上場=2017年
  • 東証ジャスダックの上場セレモニーで鐘を鳴らす土橋秀位クロスフォー社長=2017年

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