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アラビアのりに蜂蜜、赤いパインアメ コラボグッズ連発の秘訣

 頭の中はどうなっているのかというと「電源を常に入れている感じ」。そして独特の方法論を持っている。「メモは取らない。メモがなければ思い出せないようなことは大したことはないから」「考えに行き詰まったら、アイデアを真上に投げる。するといつか頭の上に落ちてきて、パッと解決する」など。いずれも仕事を進めながら身につけてきたものだ。ただ、ある取引先の企業のトップと偶然にも同じ手法が一つあったという。「答えを出したいことを寝る前に考える。眠っている間も脳は考えているらしく、目覚めたあとに解決策が浮かんでくる」。同じように考える人はやはりいたのだ。

 ヘソプロダクションは稲本さんを含め社員は10人いるが、いまのところ商品企画は稲本さん一人が担当している。スピードを重視してのことだ。そしてあらゆる所にアイデアを求める。「異業種とのつながりが新しいものを生む。だから人との面会を断ることはありません」。どさくさにまぎれて別件の相談を持ちかけられることもあるが「それも訓練。何かのヒントになります」と笑う。

 「どう役立つか」が軸になる

 28歳のとき「人生が動き始めた」という。それまでは、テレビ番組の制作会社で働いたり、詩集を出版したり。「自分は何かで絶対に成功できると思っていた。たくさん夢があった」。しかし、ふと気が付いた。「いまだに夢を持ち続けているというのは、カッコ悪いことだ。結局何もできていない」。いくつもの夢を絞って選んだのは、好きなおもちゃだった。「この分野で成功しよう」と決め、大阪の玩具問屋に就職。社員数人の小さな会社だったが「ここで名を上げればヘッドハンティングされて、とか考えましたね」。

 どんどん企画書を出し、「こんなもの、どこで売れるねん」と突っ込まれると、販売先を探して注文を取った。小売店を回るうちに「いい売り場を作るのが先だ」と思うようになり「売り場を作るための商品を考えた」。卸売りだけでなく、商品企画から営業、店舗プロデュースと手を広げ、土産物店、ミュージアムショップ、駅ナカ店などから相談を受けるようになった。しかし、最終判断は社長に従うことになる。「自分の色が十分に出せない」と退職した。

 就職から10年。38歳だった。培ってきた人脈もあって10社ほどから誘いを受けたが、「また辞めたくなったら迷惑をかけてしまう」とすべて断り、独立してコンサルティング業に。「いろんな経営者と仕事ができて、いい経験になった」ものの、案を出しても最終判断するのは当然、依頼主だ。「自分のハコ(会社)でリスクをとって勝負できれば」との思いは募った。そんなある日、吉本興業の関連会社が大阪・新世界に開店する土産物店の一部スペースを任されることになった。これは必然的な「流れ」だと受け止め、平成26年11月、ヘソプロダクションを立ち上げた。

 京都鉄道博物館(京都市下京区)のミュージアムショップのプロデュースなどの依頼を受けながら事業の足場を固めた。1年目に約1億8千万円だった売上高は、現在約12億円(令和元年10月期)。土産物、企業とのコラボレーション商品も大きく伸びた。

 新型コロナウイルスの感染拡大で先を見通しにくくなった今年は、転機になるかもしれない。これからのビジネスは「何を売るかではなく、世の中にどう役に立つか、が軸になる」とみている。今取り組んでいる事業の一つが「アマビエ疫病退散プロジェクト」。絵を見ると流行病から逃れられると伝わる妖怪「アマビエ」をデザインしたTシャツやマグカップなどグッズを販売し、売り上げの20%を日本赤十字社に寄付する。商品を売ることで、国内メーカーの仕事も生み出していく。

 どこで事業をしようと自分たちがヘソ(中心)であろう、というのがヘソプロダクションのコンセプト。経営の神様と呼ばれた松下幸之助創業の地とは知らず、大阪市福島区大開に本社を置いた。来社する取引先が記念碑に立ち寄ることも多いという。ちょっとした縁を感じながら「自分が成功して、ここをベンチャーが集まる街にし、若い人たちを応援したい」と思っている。

 【プロフィル】稲本ミノル(いなもと・みのる) 近畿大文芸学部卒。テレビ番組制作会社、玩具卸売会社などを経て平成26年11月、玩具、文具、雑貨、土産物などを企画・プロデュースするヘソプロダクション(大阪市福島区)を設立した。同社は、サッカー「セレッソ大阪」オフィシャルスポンサー、バスケットボール「大阪エヴェッサ」オフィシャルパートナーにも就いている。

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