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五輪はコロナが終わるまで待つ 日本外交の見識を発信せよ

 新型コロナウイルスの感染拡大は戦々恐々の事態を招いている。そうした中で東京五輪・パラリンピックの開催国日本の言動を世界が注視しており、日本の外交発信の試金石になっている。(渡辺啓貴)

 外交というと、同盟や安全保障に関心が向きがちだが、実はその前提としての価値観・国際見識が極めて重要な要素であることに日本人は、まだ自覚があまりない。

 筆者は3月の時点で東京五輪の「延期」と「今後感染が拡大する可能性のあるアフリカなどの開発途上国への支援協力」と提唱した。その真意は「コロナ禍をみんなで克服した後に安心して開催する。それまで待つ」という点にあった。政府は延期を打ち出したものの「1年以内の開催」という姿勢だが、それはいかにも視野の狭さを表現しているようにみえる。

 そうした視野の狭さは、日本のコロナ禍の対応について、犠牲者数が少ないにもかかわらず、批判的な声が上がる背景にもなるのではないか。

 五輪は「世界の平和の祭典」である。それをどう実現するのかについて議論を主導するのは、日本であってもおかしくない。日本の文化・スポーツ外交の絶好の見せ場である。次期大会との兼ね合いもあるが、コロナ禍から脱して世界が落ち着くのを待つ、というのが正しい議論の出発点であろう。

 東京都知事選挙では、小池百合子知事は「コロナに打ち勝って東京五輪を成功させよう」と主張した。しかし世界に向けた視野が欠落している。

 世界では五輪開催の要件は整っていない。今われわれだけで開催の是非を問うことはできないのである。だから「五輪開催はやめます」と言って辞退する選択もなくはないが、それは時期尚早だろう。

 黙して語らず粛々と準備すればよい、という人がいるかもしれないが、それこそ外交見識が問われるところだ。

 日本はコロナ禍の収拾に向けて国際的に協力し、国際的基準による世界の論理で五輪開催の問題を議論し、主張する姿勢が不可欠だ。犠牲者が少ないという「日本例外論」をいつまでも語っているのはおかしい。

 世界保健機関(WHO)は、コロナ問題に対する各国の対応と得られた教訓を調べる方針を打ち出した。五輪開催を控えている国なら、率先してWHOの方針を支援するべきであろう。

 日本に対する「信頼感」が問われている。それは日本外交、特に文化外交の肝になる部分である。国家の好イメージを意味する「国家ブランド」という表現があるが、まさにこの信頼感が出発点だ。

 自ら中止を言う必要はない。むしろすべきでないだろう。しかし国際社会で「東京五輪の来年開催は無理だ」という雰囲気が形成されてからであっては、日本の五輪戦略は後塵(こうじん)を拝する。

 そうなる前に、苦渋の選択ながら世界への配慮として「コロナ禍が落ち着くまで待つ」を表明することこそが、「グローバルプレーヤー」として日本外交の見識の発信と、ブランドイメージとにつながるのではないか。それは一刻でも早い方がよい。

【プロフィル】渡辺啓貴

 わたなべ・ひろたか 帝京大教授。1954年福岡県生まれ。東京外国語大卒。パリ第1大大学院修了。東京外大教授、同大国際関係研究所長、在仏日本大使館公使(広報文化)などを経て2019年から現職。著書に「アメリカとヨーロッパ」など。

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