高論卓説

今も変わらぬ日本人の「平和ボケ」 モスクワ五輪ボイコット

 モスクワ五輪(1980年)を日本がボイコットして、今年で40年がたつ。五輪の開催国であるソ連が、前年、隣国アフガニスタンに軍事侵攻したため、西側の米国を中心にボイコット。「平和の祭典」である五輪を開催する資格などソ連にはなく、IOC(国際オリンピック委員会)の無能ぶりと五輪憲章はただの作文でしかないことを証明した。

 ボイコットを発表するJOC(日本オリンピック委員会)の柴田勝治委員長は、苦渋に満ちた顔をしつつも淡々とされていた。戦争経験者らしく、平和の重みを理解しながら政府見解に追随。国民もメディアも五輪日本代表選手がかわいそうの大合唱、涙を流して抗議するオリンピアンもいた。戦後35年で、平和ボケする選手たちに同情する現実に私は驚かされたものだ。

 軍靴で領土を踏みにじられ、多数の犠牲者を出したアフガン。この友好国の悲劇をだれも語らず、「五輪に出場したい」と主張する選手たち。私は落胆し、悲しんだ。75年から78年までの3年間、私自身がアフガンの国立カブール大学の教壇に立ち、体育学とレスリングを指導したからだ。国際交流基金からの派遣で、多くの学生たちを教えた。その教え子たちは、ムジャヒディン(アフガンゲリラ)となってソ連軍と対峙(たいじ)したのである。

 手紙をくれる教え子からの情報は、国土が地獄絵図に転じ、多数の国民や学生たちが命を落とし、捕虜になったという。侵略から自国を守るために立ち上がった若者や国民、涙を流さずに読めない悲惨さで、40年以上たった現在でも忘れることができない。

 原爆を2発も投下され、310万人もの尊い命を失った第二次世界大戦をオリンピアンたちは忘れ、平和の意味すら理解していない。悲しいことに、既に戦争の記憶は風化し、自然に平和が定着したと考え違いをしていた。かつて日本教職員組合(日教組)は、「教え子を戦場へ送るな」というキャンペーンを張った。過去の戦争の反省に立っていたが、どうも戦場は遠い所にある印象を受けた。

 悔しいけれど、私は教え子を戦場へ送った第1号の日本人教師になってしまった。ソ連という国の理不尽な行動の故にだ。アフガンは、砂漠と山岳の国で過酷な風土である。近代的な武器や装備を誇り、軍事教育を受けたソ連兵は、素人集団のムジャヒディン、イスラム戦士にてこずり、優位に戦闘を展開させられなかった。アフガンの民族性を甘く見て考え違いをしていたに違いない。

 アフガニスタンの主流民族のパシュトウン族には、伝統的なおきてである「パシュトウンワリ」がある。この中には民族自衛思想や復讐(ふくしゅう)、過去の戦闘についても語り継がれている。また、イスラム教の教えである「ジハード」(聖戦)は絶対の義務、これらの2つの教訓がムジャヒディンを支えた。学校教育を受けていない国民でも、宗教と伝統思想で危機意識を共有していたのには感心させられた。

 ジハードとは、己たちの領土、宗教、民族の名誉がけがされれば、男たちは武器を手にして戦わねばならないとする教え。命を落とせばシャヒード(殉教者)となって天国へ昇り、信仰を貫いた勇者として敬われる。イスラム教の死生観ほど絶対的なものはない。やがてソ連を撤退させ、ロシアへと転じさせたが、アフガン国内の紛争は侵攻以降40数年に及ぶ。アフガン国民は「平和」を甘受することができないでいる。

 ひるがえって、わが国民はおしなべて平和ボケ。五輪をボイコットした日本選手たちの意識を、日本国民が今も共有している印象を持つ。もはや戦争を、国民は風化させてしまった。「戦争を知らない子供たちの国」に私たちが住んでいるようだ。

【プロフィル】松浪健四郎

 まつなみ・けんしろう 日体大理事長。日体大を経て東ミシガン大留学。日大院博士課程単位取得。学生時代はレスリング選手として全日本学生、全米選手権などのタイトルを獲得。アフガニスタン国立カブール大講師。専大教授から衆院議員3期。外務政務官、文部科学副大臣を歴任。2011年から現職。韓国龍仁大名誉博士。博士。大阪府出身。

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