口論卓説

“脱銀行”の勧め 進む規制緩和、業態変化は必須

 かつて銀行は口座を開設した顧客などに対し、感謝の意味を込めて手渡す頒布品の数にまで規制があったことはご存じだろうか。メガバンクの40代の中堅行員数人に聞いても一様に「知らない」という。そんながんじがらめの業務規制を知っているのは今や経営層かOBだけであろう。1980年代初頭まで銀行への規制はそれほど厳しかった。(森岡英樹)

 当時の大蔵省(現在の金融庁の前身)は、銀行の業務に厳しい規制を課していた。俗に「箸の上げ下げまで大蔵省が事前にチェックを入れていた」と言われる時代だ。

 頒布品についても景品表示法の規制が掛けられ、当初は3種類に制限されていた。各銀行ともティッシュ、ラップ、せっけんが定番で、頒布品の「三種の神器」とも呼ばれていた。

 年末にお得意先に配るカレンダーについてもスペース制限があり、事実上1枚もののカレンダーしか許されていなかった。その後、頒布品についても3種類から7種類というように順次緩和されてゆき、自由化された。カレンダーについてもスペース制限が自由化され、現在のような複数枚ものや卓上カレンダーなども登場していった。

 店舗規制はさらに厳しかった。店舗形態は普通店舗のみで、出店地について大蔵省が事前に認可する。毎年、認可時期になると銀行局ではその交通整理に忙しかった。認可する出店地の順番は信用金庫や信用組合などの中小金融機関が優先され、大手銀行の認可は最後だった。

 護送船団方式と呼ばれるもので、「競争力のある大手銀行に中小金融機関の経営が圧迫されないよう、店舗立地を調整する」ことが目的だった。その後、店舗の形態も小型店舗、機械化店舗など多様化が認められ、バブル期には空中店舗(ビルの2階以上に入居する)も登場した。

 これら厳しい規制の根拠は、銀行による産業支配の懸念にあった。銀行と企業・個人との関係は、圧倒的に銀行が優位に立っていた。

 しかし、1980年代半ばからの金融自由化、国際化を経て、商品・業務とも規制は緩和されていく。その意味で、金融自由化は銀行の相対的な地位の低下と裏腹の関係で進んだともいえるし、銀行が一般の産業に近づいていった過程とも捉えられよう。

 しかし、免許業である銀行の業務はいまなお多くの規制が課されている。理由は、他業リスクの排除、利益相反取引の防止、優越的地位の乱用の防止などだ。銀行法上の「他業禁止」の規定はその典型であろう。不特定多数から預金を集め貸し出す銀行は、財務の健全性を担保するため銀行法でさまざまな規制がかけられている。

 「楽天は銀行をやれるが、銀行は楽天を経営できない」。銀行の業務規制で必ず問題となるフレーズだ。銀行グループが営むことができる業務は銀行法などで制限されている。銀行本体は「固有業務」「付随業務」「法定他業等」以外の業務を営むことが原則禁止されている。

 「かつては、銀行と呼ばれていた」。三井住友銀行の新卒採用ページにはこう書かれている。ドキリとするこのフレーズは、銀行の将来像を暗示しているようで魅力的だ。銀行が銀行でなくなるということはどういうことなのか、銀行は大きく変わるときを迎えていることは確かだ。

 【プロフィル】森岡英樹(もりおか・ひでき) ジャーナリスト。早大卒。経済紙記者、米国のコンサルタント会社アドバイザー、埼玉県芸術文化振興財団常務理事を経て2004年に独立。福岡県出身。

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