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北大路魯山人もうなった逸品 大阪名物、アナゴ復活にかける取り組み続々

 アナゴ屋の使命

 一方で、堺市内には、別のアプローチでアナゴの食文化を守り伝える動きがある。

 堺は明治から昭和中期にかけて、出島旧漁港を中心にアナゴのはえ縄漁が盛んに行われていた。美食家・北大路魯山人をして「あなごの美味いのは堺近海が有名だ」といわしめたほどだ。身が柔らかく、きれいにさばくのが難しいアナゴ専門の加工業者が軒を連ね、通りは「穴子屋筋」と呼ばれ活気にあふれていた。しかし今は、加工業者は松井泉(まついいずみ、同市)をはじめ市内に数軒を残すのみになった。

 「アナゴ屋はしんどくてもうからない商売になっている。このままだと加工技術が失われ、将来的においしいアナゴが食べてもらえなくなる」

 同社の松井利行社長はこう危機を訴え、約10年前ぁら「アナゴの街・堺」の復活を目指したPR活動「堺あなごプロジェクト」を始めた。今秋には市内で路面電車を運行する阪堺電気軌道(阪堺電車、大阪市住吉区)とコラボし、週末限定でアナゴすしの駅弁(1400円)を販売。最終日には用意した300個が1時間半で売り切れる人気ぶりを見せた。

 高度成長期の湾岸開発により堺沖の漁獲量も激減、ここ数年はほとんど獲れなくなっているため、松井泉が取り扱うアナゴは今は韓国産が中心になっている。「おいしいものを作り出すのがアナゴ屋の使命。こだわるのはアナゴそのものであって、産地じゃない」と松井さん。「魯山人の時代とは海も川も環境が違う。受け継いだ加工技術や目利きがあるから、産地にこだわらなくても誰もがおいしいと言ってくれる味に近づけることができる」と矜持(きょうじ)を語る。

 大阪に伝わるアナゴの食文化は、しっかり息づいている。

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