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「コロナ禍で共感される部分も」 横浜で世界記憶遺産「シベリア抑留」資料巡回展

SankeiBiz編集部
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 ユネスコの「世界の記憶(世界記憶遺産)」であるシベリア抑留関連の資料を所蔵する舞鶴引揚記念館(京都府舞鶴市)の「全国巡回展in横浜」が17日、横浜市中区の横浜赤レンガ倉庫1号館で始まった。世界最大の旅行サイト「トリップアドバイザー」の「旅好きが選ぶ!日本人に人気の博物館ランキング2020」で12位になった同記念館の収蔵品から、抑留中に実際に使用された生活用品など計73点を展示している。入場無料。23日まで開催している。

 我が子、夫を待ちつづけた「岸壁の母・妻」

 シベリア抑留資料は、舞鶴市の舞鶴港に引き揚げた人々の手記などで、ヒット曲「岸壁の母」のモデル、端野いせさん(故人)が息子に宛てた手紙も含まれる。いせさんは、戦地から戻らぬ息子を引揚桟橋で待ち続けた。引き揚げが終了し、息子の死亡告知書が届いた後も帰還を信じ、1981年7月に81歳で亡くなるまで息子との再会の希望を捨てなかったという。

 第二次世界大戦末期、旧満州(中国東北部)に侵攻した旧ソ連は、終戦後に旧満州や朝鮮半島などで日本兵や民間人の身柄を拘束。シベリアなどの強制労働収容所に送り、鉄道建設や石炭の採掘、森林伐採などの強制労働を課した。日ソ共同宣言で国交が回復する1956年まで続き、抑留期間が10年以上に及んだ人もいた。約57万5000人の抑留者のうち約6万人が飢え、病気などで命を落としたとされる。

 終戦直後から13年間に66万余人の引き揚げ者が舞鶴港で祖国の地を踏んだ。舞鶴港の桟橋横の由緒書きには、「幾多の苦難に耐え、夢に見た祖国へ感激の第一歩をしるした桟橋。桟橋の脇に佇み我が子、夫を待ちつづけた『岸壁の母・妻』」と記されている。

 シベリア抑留を生き抜いた人々の資料を展示

 「全国巡回展in横浜」では、抑留者が白樺の皮に心情をつづった「白樺日誌」も展示される。空き缶を加工したペンを使い、煙突のすすをインクにして日々の思いを和歌で記したもので、収容所の辛い日常だけでなく、その中にある小さな喜びや故郷にのこした家族への想いなどもつづられている。いずれも歴史的にも価値の高い資料だ。

 舞鶴市では「忘れてはならない引き揚げの史実を後世に継承する」事業として、引揚港の歴史を有する全国の都市と連携し全国巡回展を開催している。

 舞鶴引揚記念館の山下美晴館長は「シベリア抑留という苦難の状況の中でも生き抜き、再びふるさとの地を踏みしめられた方々の資料を多く展示しています。現在、コロナ禍で、命の大切さや平和な日常のありがたさに関心が集まっている中で共感される部分もあるかと思いますので、ぜひ一人でも多くの方がお越しいただけることを願っています」と話している。

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