リーダーの視点 鶴田東洋彦が聞く

創業家3代目、「自立」体験が今に生きる タニタ・谷田千里社長(2-2)

 ■創業家3代目、「自立」体験が今に生きる

 --経歴がユニークだ

 「タニタは祖父が1944年に設立し、後を継いだ父が92年に世界初の体脂肪計を発売するなどヘルスメーターで世界シェアトップに引き上げた。家業を継ぐのが当然という環境の中、私は4人兄弟の次男ということもあって、その意識は全くなかった。会社に行くと創業家の息子ということで社員が私にペコペコと頭を下げるのが嫌で会社を避けるようになった。高校卒業時は父から離れて『自立したい』との思いが強まり、元々料理が好きだったので手っ取り早く独立できる手段として調理師を目指すことにした」

 「調理師専門学校で免許を取ったものの、椎間板ヘルニアを患い、医者から『立ち仕事に就いたら再発する』と警告され断念した。しかし諦めきれず栄養士を目指して佐賀短期大学(現・西九州大学)に入学、家庭科の教員免許と栄養士の資格を取得した。タニタから離れたくて飛び出したが、全てが(タニタ食堂のオープンなど)今のタニタにつながるのだから不思議だ。その後、佐賀大学理工学部に編入し、卒業後はアミューズメント関連会社を経て、父の紹介で船井総合研究所に入社した」

 --その後にタニタに入ることになるが、最初は苦労したのでは

 「船井総研には3年ほど在籍したが、経営コンサルタントとしてがむしゃらに働き、勉強した。やりがいを感じていたが、父から『戻ってほしい』といわれ2001年に入社、経営戦略室に配属された。お金にこだわりたくなかったが、給料が船井総研時代に比べかなり低かったので人事担当役員に直談判。すると『君の年齢ならこの金額』といわれた。父に請われて入社したので驚いたが、平社員として転職してきたので受け入れざるを得なかった」

 「誤解もあった。船井総研時代は顧客のための意見が正しければ採用されたので、タニタでも上司の命令より理論的に正しいことが優先されると思い、誰が相手でも“青年の主張”のように直言を繰り返した。人心を掌握していなかったので反発を招くのは当たり前。やがて不協和音が生じるようになり、ほとぼりを冷ますため、父から米国行きを命じられた。現地の語学学校に通ったが、今度は労働組合から『会社のお金で語学学校に行くのはおかしい』と批判が起き、仕方がないのでいったん退職して英語を学んだ後、タニタアメリカで08年まで働いた」

 --08年には社長に就任した

 「35歳のとき、父から『社長になれ』といわれた。体脂肪計の特許が切れ、競合各社にシェアを奪われている状況で、しかもリーマン・ショックと重なり業績は悪化していた。『会社を悪くしたらどうしよう』とネガティブ思考しかなかった。当時開発していた睡眠状態を可視化する睡眠計(現在のスリープスキャン)で測ると、それまでの70点から40点台に落ちた。社長というプレッシャーで眠れなくなっていた」

 --好きな言葉は

 「船井総研の創業者、船井幸雄氏の言葉で、伸びる会社・経営者の基本条件といわれる『素直・プラス発想・勉強好き』。年齢を重ねるほど、ネガティブだとそれで終わってしまうのでプラス思考の重要性を感じる。また船井流経営法のセオリー『経営の原理原則を守り、時流適応していかなければならない』も肝に銘じている」

 --休日の過ごしかたは

 「マンガやゲーム、アニメが好きで、テープやCD、DVDなどのグッズを大量に集めていた。結婚後は維持していくわけにもいかず、少しずつ処分してきたが捨てきれず、まだ山のようにある。コロナ禍での外出自粛などを利用して整理しているが、なかなか進まない」

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